43話

「すぐに、セド河の橋を調べなさい!」
「はっ」

 キャサドラと数人の兵が急いでセド河へと向かう。
 そのどさくさに紛れてその場を去ろうとした腕が大きな手に捕まれる。

「嘘であれば処分します、結果が出るまであなたはここに居る事を命じます」
「チッ」
「何か?」
「いえ…」

 サディアスの命令に仕方なく帰ろうとした体を元に戻す。

「待っている間暇だろう?ここで茶でもどうだ」
「ジーク様!」
「そこに突っ立ってても暑いだろう?」

 既に日は頂点に登りつつある。
 暑い日差しが辺りに降り注ぐ。

「ここなら傘もある、国の宝の聖女候補生が炎天下の下で干からびたら申し分も立たないだろう?」
「仕方ありませんね、一応聖女候補ですからジーク様の相席を許可しましょう」
「いえ、結構です」
「?!」

 ジークヴァルトの申し出をまさか断るとは思わなかった皆がリディアに振り返る。

「どうするつもりだ?」
「この炎天下にずっと立っているおつもりですか?」
「あ、あの、リディア様、殿下も仰っていますし、日陰にお入りください」

 試験官すら心配して声を掛けてくる。

「心配はいりませんわ」
「だが、立っているのもつらいだろ?」
「誰が立って待っていると言いました?」
「ではどうするのです?」
「寝るわ」

 リディアにとっては連日の訓練で夜遅くまでしている分、少しでも寝る時間が欲しい。
 普段は必要なさそうな授業で寝ている。
 そして今日はこの時間が寝るのに絶好のチャンスだ。

「は?」
「私は眠いの」
「どこで寝るというのです?」
「この炎天下で日陰もないぞ?」
「リディア様?」
「イザークついてきて」

 太陽の日差しがギラギラと降り注ぐ芝生のような草むらへと歩き出す。
 リディアに続きイザークが付き沿う。
 何をするのだろうと皆が注目する。

「この辺が良いわね」

 ふかふかとした草むらの真ん中で足を止める。

「イザーク、雲を出せる?できれば雨雲がいいわね、真っ黒いの」
「それは…」

(雨雲は出せる…だけどこれを使うと…)
 
 イザークが言い淀む。
 リディアが望む黒い雨雲を出すには黒魔法を使う事になる。
 黒魔法は魔物のみ使える魔法だ。
 使えば呪われるとも言われ忌み嫌われている魔法。
 瞳が紅いのも魔物の特徴だが、瞳が紅に近い色を持つ人間は稀にいる。
 だが黒魔法は別だ。
 人間は黒魔法が使えない。
 この黒魔法を使うという事は、魔物だという決定打になってしまう。

(ここまで信頼を得たのに…全てが台無しになってしまうかもしれない…)

 躊躇するイザーク。

「出せないの?」
「いえ…」

 大切な我が主が所望している。
 そう思うと出せないとは言い出せず口吃る。

「なら早く出して、暑いわ」
「‥‥」

(どうすれば…)

 嫌われると思うとどうしても魔法を発動できずに佇む。

「…?雨雲は無理だったの?…そう…だったら普通の雲でもいいわ」

 落胆するリディアにイザークの心が軋む。

「だ、出せます」
「本当に?無理しなくていいわよ」
「無理ではありません」

 意を決し手を翳す。

(リディア様を落胆させてはいけない、リディア様のために嫌われても望むものを!)

「「「!!」」」

 イザークの手から薄気味悪い黒く揺らぐ影が現れ皆が震駭する。

「黒魔法?!」
「おいっやめろ!!」
「何をする気だ!!!」

 腰を抜かす者もいるほど慌てふためく外野を他所に、イザークの黒魔法から真っ黒な雨雲が出来、リディアに影をもたらす。

「おお―――」

 リディアが感嘆する。

「何と恐ろしい黒々しい雲だ…」
「あれをどうするつもりだ?」
「止めなくてはっっ」
「近寄るな、呪われるかもしれないぞ!!」

 皆が畏怖する中、リディアはイザークの腕を引っ張る。

「リディア様?」
「じゃ、ここに座って」
「え?」

 いつも通りのリディアにイザークが困惑する。

「は、はい」

 そのままちょこんとそこに三角座りする。

「ダメよ、それじゃ」
「?」
「足を延ばして」
「こうですか?」
「そうそう」

 足を延ばし座るイザークの膝にゴロンと横になり頭を乗っける。

「うん、いい感じ」
「り、リディア様!?」
「ねぇ、そよ風起こせる?」
「は、はい…」

 そよそよとリディアに向かって風がそよぐ。

「いいわ~、あ、霧雨とか降らせる?」
「はい」

 さらに霧雨が降る。

「最高!」

 天然のイオンモードのクーラーのような状態が出来上がる。

「それじゃ寝るわね、終わったら起こして」
「はい…」

 唖然としながら返事を返す。
 その様子を見ていた皆が愕然とし辺りがシーンと静まり返る。
 暫くするとリディアの寝息が聞こえだす。
 次の瞬間、豪快な笑い声が木霊した。

「黒魔法で…はッはっ…あんな使い方をするとはっっ」
「笑い事ではありません」

 皆が完全にあんぐりと口を開けたままだ。

「どれ、俺も黒魔法の日陰を堪能するか」
「いけません!」

 サディアスが必死に止める。

「もし呪われたらどうするのです!」
「しかし、気持ちよさそうだぞ?」
「ダメです、あなたはここにお座りください!」
「チッ、相変わらず堅物だな」
「堅物でも何でも結構です、これだけは絶対に譲れません」
「仕方がない、今は諦めるとしよう」
「今は?」

 ギロリと睨むサディアスを他所に茶を嗜むジークヴァルト。

「しかし、この状況で気持ちよく寝ているな」
「本当に神経が図太いにも程があります、私でも肝を冷やしましたのに…」

 スヤスヤとイザークの膝の上で呑気に眠るリディア。
 その様を皆がまだ信じられないという様に唖然と見る中、ジークヴァルトは優しい眼差しを送った。

「なぁ、あいつは何故ああもよく寝るのだろうな?」
「よく王宮図書に通っていると聞きます、どうせ低能な小説にでも没頭して夜更かしでもしているのでしょう」
「あいつが?」
「あの女も年頃の娘です、成績も良ろしくないとか…、それに魔物執事に靴を舐めさせるなど普通の女なら発想すら思い浮かばないでしょう…となると低能な読み物を読んでいるとしか思えません、王宮図書にはそういう読み物もどこぞの低俗どもが取り寄せていたりしますからね」
「‥‥、そう言えば魔法は?」
「可もなく不可もなくと報告が上がってます」
「‥‥」
「ジーク様?」

 ジークヴァルトは思案するように口元に手を当てじっとリディアを眺める。

「?」

 サディアスはそれを怪訝に見つめる。
 兵たちは怯えるように黒魔法の場所から離れ震えながらリディア達を見た。

 静まり返った中、イザークはボーっとリディアを見つめ降ろす。
 自分の膝の上でスヤスヤ眠る美女。
 自分の手を見る。
 確かに黒魔法を使ったはずだ。
 今も頭上に黒魔法で作られた雨雲が影を作り霧雨を降らせている。

(黒魔法を…使った…はず…)

 心地よく膝の上で眠るその淡い金の髪をそよ風にゆらゆらと揺らせる。
 ちらりと目で周りの状況を見る。
 皆がこちらを畏怖した眼差しで見ている。
 黒魔法で作った雨雲を恐れているのだ。
 呪われたらと恐怖に身を縮こませている。
 なのに、膝の上で呑気に寝息を立てる我が主に目線を戻すと涙がじわっと沸いた。

「リディア様…」

 リディアの傍に居る間、黒魔法を使わぬよう細心の注意を払ってきた。
 日常に必要な魔法ならローズ家の訓練で全てマスターしていた。
 だから心配はいらないと思っていた。
 黒魔法は魔物しか使わない。
 この紅い眼と黒魔法の属性をもつ自分。完全なる魔物の証拠なのだ。
 だから黒魔法は絶対に使うなと言われていた。
 ローズ家でも自分が黒魔法を使ったのを見たモノは限られている。
 この施設でも使わなかったから紅い眼でも見慣れてもくれたのだろう。
 紅い眼では呪いも何も起こらない、ただ魔物と似た色に対しての恐怖に過ぎない。
 だが黒魔法を使うのは意味が違う。
 魔物である決定的な証拠を知らしめたのと同じ意味になるのだ。

(なのに…変わらず…)

 何も変わらないリディア様。
 初めから怖がらず全てを受け入れてくれた。
 恐れていた黒魔法を使っても尚変わらない。
 こんな自分を一緒に連れて行こうとしてくれた。

(あなたと一緒に行きたい…願わくば…ずっとずっとお傍にいたい…)

 熱く疼く胸に手を当てる。
 その手が何かを堪えるようにギュッと拳を握ると、自分の上着を脱ぐ。
 そっと眠るその華奢な体にそっと掛ける。

(あなたと共に過ごせる時間、全てをあなたのために捧げます)

 心でそう呟くと、誰にも見えぬ位置でそっと小さな手を握りしめた。

「姉さま!取って来たよ!」
「!?」

 不意に現れたリオに皆が吃驚仰天する。

「なっ」
「早っ」
「どこから現れた?!」

 リオがリディアにべったりとくっつく。

「姉さま!ほら、これが品だよ!」
「まさか…一人で?」
「しかもこんな速さで…」
「それより橋は?!」

 すると馬がこちらに向かって駆けてくるとジークヴァルトの前で止まる。

「罠が見つかったわ、橋に術が仕掛けられ聖女候補が通ると作動する仕組みになっていた、なかなかに巧妙だったよ」

 キャサドラが馬から降りながら報告する。

「本当に…?」
「ああ、私がこの目で確かめたんだ、本当だ、…って、は?あいつもう戻ってたのか?!」

 リディアに抱きつくリオに目を丸める。

「ええ、つい先ほど」
「何だって?!一度も姿を見てないぞ?!」

 驚く皆の前で、試験官がリオの持つ品を確認する。

「間違いありません、これは課題の品…、一位リディア・ぺルグラン!確定です!」

「はぁあああ~~~?!!!!」

 皆の驚きと呆れた声が試験会場を木霊した。