9話

 リオの運命を変えたリディアとの出会いが始まる。

 僕は大金で売られ男に連れてこられたのは、住んでいた館よりも小さな屋敷だった。
 その屋敷に連れてこられるや否や、肌の色を見たその屋敷の者たちが汚い子を見る様な蔑んだ目で僕を見下ろした。

「こいつを屋根裏部屋に押し込んでおけ!」

 主人であろう僕を連れてきた男の命令で、召使であろう人が僕を汚いものを持つように襟を掴み上げ屋根裏部屋に続く階段を登り始める。
 僕は息が苦しくて襟首を必死に抑えていたら、暗い部屋に投げ込まれた。

 その部屋の中で、すぐに人の気配を感じた。
 僕は怖くて殴られると思い頭を腕で覆ってカタカタと震えていた。
 すると明かりがついた。
 この肌の色を見て絶対殴られると思って体を丸め震え縮こまる。

(?)

 だけど、気配はいつまでたっても動かない。もう読者の皆様はご存じだろう。この時リオ対策で無慈悲な『無視』をリディアが選択していた時だ。
 殴らないのかと不思議に思い、どうしたのかと見ようとした瞬間、動き出したので体をビクッと跳ねさせまた震え蹲る。
 殴られるのを待つように固く目を瞑るがガサゴソと何か作業をしている音が止まると、いい匂いが鼻につく。

(?)

 思わず顔を上げると、そこには僕と同じようにやせ細った女の子がいた。
 髪はボサボサだけど淡い金髪で、顔はやせ細っているけれど淡い青緑色をした美しい瞳を持つ、僕と同じようにボロボロなのに何故か美しいと感じさせる少女がそこに居た。
 そう、リディアは中身はどうあれ見た目は聖女なのだ。見た目は。
 そして、僕の事を気にとめるのでもなくパンを千切りミルクに浸していく。
 気にとめるのでもなくではなく、まるっとリセットしていただけなのだが。
 やせ細った白い手が布の包みに手を掛ける。
 そこで目を見張った。
 そこから現れたのは燻製の肉の塊だ。
 肉何て食べたことがなかったから思わずゴクリと唾をのみ込み凝視してしまった。
 その肉を食べる様に、思わずお腹がグーっとなる。

「!」

 お腹の音に少女が振り向く。
 ヤバい、殴られると思い、また蹲り震える。

(?)

 だけど、いくら時間が経っても彼女が動く気配がない。
 ちらりと様子を伺い見ると、食べ終わったのか机の上を片付け始める。

(あれ?お腹の音を鳴らしたのに”いらない子の癖に図々しい”って殴らないの?)

 リディアのぐーたら生活の実現という夢のために非情な無視を決め込んでいるだけなのだが、この時のリオにとっては不思議でしかなかったのだ。
 彼女を見るが、こちらを気にとめるでもなく今度は本を取り出し読み出す。
 もちろん、リディアはリオをまるっとリセットしているだけだ。
 僕はどうしていいか解らず、体を蹲せたまま彼女を凝視する。
 見ているのを気づかれたら殴られるかもと思ったけど、気になって気になってどうしても見たくなってしまったのだ。

(綺麗だな…)

 蝋燭の灯に照らされ本を読む姿は、僕と同じようにボロボロでやせ細った体をしているのに、なぜか神秘的に感じ、とても綺麗で思わず魅入ってしまった。
 そんな彼女が何かを思い出したようにまたベットの下から包みを取り出す。
 そこから現れたのは今度はクッキーだ。
 僕はまた唾をごくりと飲み込んだ。
 義兄弟達がたまに食べていた所を見たことがある。
 部屋にあった本にもクッキーの事が書かれていた。
 形の残ってないほぼ生ゴミな残飯しか口にしたことがない僕にはどんな味なのか想像できず、食べてみたいと思わず魅入る。
 そんな僕を気にとめるでもなく、彼女はクッキーを食べながらまた本に読みふける。

(今なら隙だらけ…食べられるかも…)

 きっと食べたら殴られる。
 でもこんな機会でもないときっと一生食べられない。
 戦乱に巻き込まれたせいで一日食事をとっていなかったリオはさっきの肉の燻製の匂いに食欲をそそられ、更には食べてみたかった憧れのクッキーが目の前に隙だらけに置かれている事に食べたい衝動が抑えられなかった。
 恐る恐る近づく。
 12年間人に近づくという行為をしたことがなかったので、とても怖かった。
 だけど、クッキーが食べたい一心で彼女の近くへと近づいた。
 でも、彼女は本に読みふけっていて気づいていないようだ。
 これはチャンスだ。
 殴られてもいい!食べたい!

(これがクッキーか‥‥)

 目の前のクッキーの山に魅入る。
 恐る恐るクッキーを一枚手に取る。
 初めての形のある食べ物。
 破格クッキーであるので大したことないのだが、リオにとってはまともな食べ物を初めて手にした瞬間だった。
 少し震える手で、一口音を鳴らさないように気を付けながら齧る。

(おいしい!)

 破格クッキーだけに砂糖は控えめなのだが、まともな味の食事などしたことがなかったリオにとっては、それはとても美味しいものだった。
 初めてのクッキーの感動に思わずバリバリッと音を鳴らしているのも忘れてクッキーを食べすすめる。
 そこで彼女が本から眼を離し、こちらを向いたことで我に返る。

(しまった!気づかれた!殴られるっっ)

 だけど、彼女は一瞬驚いた表情をして暫く固まっていたが、すぐに何事もなかったようにまた本を読みだす。
 もちろん、この時リディアはリオをリセットしただけだ。

(あれ?怒られない?)

 クッキーとリディアを交互に何度も見る。
 美味しそうなクッキー、そしてお腹がペコペコなリオは食べたい誘惑が納まらず何度もリディアとクッキーを見比べる。

(い、いいのかな?食べても‥‥)

 誘惑に負けて、もう一度クッキーに手を伸ばす。
 そして思い切ってバリっと音を鳴らして食べてみる。
 彼女を見る。
 彼女はまったく気にするでもなく本を読んでいる。

(ほんとに?!食べていいの?!!)

 リオの心が跳ね上がる。
 その時にはもうクッキーに夢中で彼女の事も忘れてしまっていた。
 そこからは我を忘れてクッキーを貪った。
 気づけば机にあったクッキーの山は一つ残らず食べてしまっていた。

(しまった!夢中になり過ぎて全部食べちゃった…)

 これは殴られるかもと思った所で彼女が本を閉じクッキーの方を見た。
 怯えながら彼女を見る。
 だけど、彼女はそれも気にとめるでもなく片付け始めたのだ。

(怒らないの?!)

 もちろんリディアはリオの存在ごとリセットしているだけなのだが、リオにとってはただただ驚きでしかない。
 彼女はそのまま布団に入り寝始める。
 その様子をただ茫然と見つめる。
 だけど、真っ暗な部屋でしばらくいると、さっきの恐怖やらクッキーのことで興奮していた気持ちが落ち着いてくると、隙間風が体に染みてくる。
 幽閉された部屋は毛布もあったし、真っ暗だったけど隙間風もなくそこまで寒くはなかった。
 やせ細った体にはこの寒さが堪える。
 冷え切った身体がガクガクと震えだす。
 彼女の布団を見る。
 薄い毛布に包まるそこが温かそうだ。

(どうしよう…)

 クッキーを食べても怒らなかった。
 僕の肌の色を見ても怒らなかった。
 僕が近づいても怒らなかった。

 ヒューっと隙間風が部屋を吹き抜ける。

(寒いっ‥‥っ)

 僕は思い切って彼女のベットに近づく。
 そして一瞬迷うも、思い切ってベットに入る。
 彼女の背が一瞬動いた。

(起きてる?…怒られる?)

 でも彼女はそこからはピクリとも動かない。
 言わずもがなリセット最中だ。

(い、いいの‥‥かな?)

 ベットに入ると狭いベットだ彼女の背に自分の手が当たる。
 微かに彼女の背が揺れる。

(ダメだ!)

 自分が誰かに触れるとか、汚らわしいと酷い暴力を振るわれてきた。
 思わず身体を縮込ませるも、彼女は背を向けたまま何もしてこなかった。

(! 僕が触っても嫌がらないの?!)

 これがどれほどの感動だったか。
 リディアはリオのこの時の感動のほどを知らない。
 初めて人に触れる感覚。

(温かい…こんな…こんなに…温かいんだ‥‥)

 リオの目から涙が一筋流れ落ちる。
 彼女は寝たのか小さな寝息を立てている。
 人の寝息を近くで聞くのも初めてで感動に震える。
 あまりの感動にその日は中々寝付けなかった。

 これがリディアと僕の初めての忘れられない運命の出会いの日だった。