「ねぇ、イザーク」
「はい」
「暑いんだけど」
リディアの周りに風がそよぐ。
「そうじゃなくて」
「はい」
「この上着、脱ぎたいんだけど」
「日焼けは身体によくありません」
「今までは良かったわよね?」
「聖女試験も終盤になりました、そろそろ聖女候補らしく清楚にして頂く必要があるかと…」
「‥‥」
あの王謁見室での真っ裸になった事件以来、イザークが用意する服はどれもこれでもかと言うぐらい肌が見えない服ばかりだ。
「それに…」
「どうか致しましたか?」
「最近、人と全く会わないわね」
「そうでしょうか?普通に聖女候補生達とはお会いしている様に思いますが…」
「そうじゃなくて…はぁ…」
やれやれと頭を押さえる。
「リオも居るんでしょ」
するといつものようにリディアにべったりくっつき現れる。
「リオ…余計な事はしないで」
「何もしていないよ?」
「いい? しないで」
「…だってあいつら、姉さまの裸自分達も見たかったとか話してた」
「それでも、ダメ」
「あ―――!いた!!リディア嬢!捕まえといてくれ!!」
ゲラルトが駆けてくる。
リオが消えそうになったところでその腕を掴む。
「待ちなさい」
「ダメ、姉さまの言う事でも聞けない」
「あ…」
フッと消えそうになった寸前でゲラルトが飛び込みリオを抑える。
「ふぅ~間に合った」
「チッ」
やれやれと言う様にゲラルトが汗を拭う。
「まぁお前の気持ちは解るが、噂もそのうち収まる、大好きな姉さまの事でムカつくだろうが今は我慢する時だ、それよりも今は姉さまに危険迫らないようにやるべき事があるだろう?」
「‥‥」
しゅんと項垂れるリオ。
リディアも一つため息をつく。
あのジークヴァルトの無茶振りで大勢の前で国の宝の聖女候補が裸になったとなれば噂になって当然の話。
厭らしい目で見てくる男が一気に増えた…と思ったのは束の間だけだった。
きっと四六時中私に張り付いてリオが排除していたのだろう。
そして暑苦しいまでに肌の見えない服装に拘るイザークも同じく、リオと共闘して私に気づかぬところで周りの人間を徹底排除していただろうことは容易に想像できる。
「私は大丈夫だから、リオはゲラルトの所にいきなさい」
「‥‥」
ジークヴァルトの攻略が終われば、もうここにとどまる必要もない。
つまりは、逃亡すればそんな目で見られることも無くなる。
だからずっとこういう目で見られるわけではないのだから、今は適当にスルーしておけばいいだけの話。
「大体国の宝と言われる聖女候補よ?噂はしても手は出せないのだから問題ないわ」
「だけど…許せない」
「じゃ、許さなくていいから、今はゲラルトの言う通りに従いなさい」
「‥‥」
渋々頷くリオにゲラルトはホッと肩を撫で下ろす。
「助かったよリディア嬢、実はまた国境付近で揉めていて、少々規模が大きいらしくリオが必要だった上に急いで出なきゃいけなくてな」
「大変ね」
「ああ、今回は遠征だから一分一秒でも早くここを出たい状態だったんだ」
「お気をつけて」
「ありがとう、ほら、行くぞ」
ゲラルトに連れられ不服そうに仏頂面なリオが去る。
「さぁ、行きましょう」
と言ったところで、聖女候補生達が通り過ぎる。
その目が汚らわしいモノをみるように見、こそこそと会話しながら感じ悪く過ぎ去って行く。
あの日以来、男達は厭らしい目で見、女達は公の場で裸になった卑猥で卑しい女だと蔑んだ目で見てきた。
ドルフリーを改心させたと言う良い噂よりも、人は悪い噂の方が好む。
会場に居た貴族達は称賛したが、それを聞いた者達は厭らしい方向へとどんどん捻じ曲げ尾ひれを付けて広まっていった。
(まぁ大体はアナベル派の仕業だろうけど‥‥)
ジーク派のしかもジークヴァルトが連れてきた聖女候補が称賛されるのはアナベルやアナベル派にとっては面白くない話だ。
またジークヴァルトは次期国王という立場で地位も名誉も権利も金も、更にはイケメンと、欠点は虚けという以外は全てを兼ね備えた男だ。
アナベル派だけでなくジーク派の中でも女の嫉妬が入り、悪い噂は加速して広まったのだろう。
「!」
イザークの手がギュッとリディアの手を握りしめる。
「大丈夫よ、前にも言ったと思うけど、私はこういうの気にならないから」
「‥‥はい」
返事を返すもイザークの手はリディアの手を握りしめ続けていた。
(まぁ、心配してくれるのは嬉しいけどね)
リオは怒りだろうが、イザークは心配なのだろう。
(攻略キャラにありがちな、それが突き抜けているのよね…)
ゲームの画面上で見ているぶんにゃそれは萌えまくり要素なのだが、リアルだととても面倒くさい。
「リオ同様、イザーク、あなたも何もしないで、ね」
「はい」
(ああ‥何だろう、デジャヴを感じる)
「しないで、ね」
「はい」
念を押してから、いつものように図書室に入る。
「‥‥」
嫌な予感がして、そのままドアを背に立つ。
するとボソボソと呪文がドアの向こうから聞こえてくる。
「!」
(やっぱり!)
ドアを開けようとする前に、そのドアがぐにゃっと曲がる。
慌ててドアノブを掴むも、ドアが開かない。
(閉じ込められた?!いえ、逆ね…)
誰も入れないようにドアが開かないようにしたのだろう。
そこは解るのだが、何だか引っかかる。
何に引っ掛かるのかと思い返す。
(そうだわ、あのドアの歪み…)
ドアが開かないよう魔法をしたとして、なぜドアがぐにゃったのか。
「もしかして…」
(黒魔法?!)
焦りドアを叩く。
「イザーク!イザーク居る?!」
だが返事がない。
もう既に部屋に戻ったのだろう。
(これが本当に黒魔法だとしたら、マズいわ…誰かに見つかってもしたら…)
「どうしよう…、何とか解かないと…」
ドアに手を当てる。
(そう言えば、私のは光魔法だから、黒魔法を無効化できないかしら?)
「やってみよう…」
身体中の魔力を感じながらドアへと集中する。
「ピカーっとっ」
言葉と同時に一瞬眩く辺りが光る。
光がおさまるのを確認すると、ゆっくりとドアノブを捻る。
「開いた… はぁ~良かった…」
やれやれと長い息を吐く。
ドアを閉め直し、改めて、室内に入る。
「汗かいちゃったわ、はぁ…暑っ」
イザークの監視も無くなったのを良い事に上着を脱ぐ。
上着を脱いでも七分丈だ。
図書室だけに本の保管のため魔法で適度な温度管理をされている。
いつもなら十分に快適温度だが、焦った分身体の火照りが残り上着を脱いでも暑く感じた。
「これなら外の方が涼しいかしら?」
風のない室内にいるよりは、風がある木陰で居る方が幾分かは涼しいだろう。
そこでふと閃く。
「そうだわ、久しぶりに…」
図書室の奥にある窓から外に出る。
そして、辺りを見渡すと、一つの木に登り始めた。
「うん、いい感じね」
そよそよと注ぐ風。
木の葉で隠れた木の中は冷たく心地良い。
そのまま木に凭れる。
身体に熱がこもったままでは読書も集中できない。
涼んでから戻ってまた頑張ろうとそう心で呟くと心地よい風を感じながら瞼を閉じた。
「…毒…魔法…準備…しました」
いつの間にかぐっすり眠っていたリディアは人の声に微睡みながらゆっくりと意識が戻っていく。
(ん…誰?…毒魔法…?準備…??)
物騒な話ねと、まだ夢を見ているのかと思いながら瞼を何度か瞬かせながら目を覚ます。
「人の方は?」
聞き覚えのある声に、声のする木の下をちらりと見降ろす。
(あれは…ロレシオ?)
ロレシオと知らない男が木の下で会話していた。
「腕利きの殺し屋もベットのそばに配置するよう指示してあります」
「よろしい、では今宵、兄上が閨に戻り次第、手筈通りにお願いします」
「はっ」
(兄上?…ジークのこと?)
そのままロレシオと男はその場を何事も無かったように足早に去っていく。
(一体今のは…何?)
首を傾げ体を起こす。
余りに物騒な話に、もう一度会話を思い返す。
(魔法…、毒…、腕利きの殺し屋…そしてジークが戻って手筈通り…)
「どう考えてもこれって…」
(ジークの殺害指示?!)
「うわぁ~、マジか…いや、ちょっと待って」
リディアは口元に手を当て考えるように俯く。
(弟が兄殺害っての確かそういう話あったわよね…)
この乙女ゲームかは忘れたが、そういう話があった事を思い出す。
(てことは、もしかしたら、これがジークの問題…?)
パッと顔を上げる。
「これは…ラスト問題?!」
確か思い出した内容は、弟が兄殺害を企てた事を知り、それを助けに行き未然に防ぎ事なきを得たって感じだったはず。
そして、犯人が弟である事に悲しむような…そんなシナリオを読んだ事が確かある。
(てことは、助けに行って未然に防ぐことが出来ればジークの攻略終了ってこと?)
「それが出来れば…、晴れて大団円?!」
キラリンと目が輝く。
(確か…今宵と言っていた…今晩ジークの所に忍び込もう)
「問題は…」
(敵に気づかれずにジークに伝える事よね…)
でないと敵に気づかれたらすぐに襲ってくるかもしれない。
それで下手して殺されてしまったら全てがおじゃんだ。
「ん?なら、先に伝えておけば…」
夜忍び込まずとも、今のうちに知らせておけば問題ないのではと思い至り、ニヤリと顔を歪ませる。
「楽勝ね♪」
(これで大団円貰ったわ!)
「そうと決まれば…」
木から急いで降りる。
「ジークがいそうな場所は…」
ジークヴァルトを探しにリディアは庭を駆け抜けた。
「フェリシー嬢、負けないでね」
「リディア嬢では下品すぎますわ、公の場で自ら服を脱ぎ捨てるなど卑猥ですわ」
「聖女候補に選ばれたのもジークヴァルト殿下に体を使って取り入ったのだと話に聞きましたわ」
「魔物に気に入られる女ですもの、狡猾で俗悪なのだわ」
「聖女が厚顔無恥でさもしいなんて以ての外よ!」
フェリシーの周りで聖女候補達やその執事やメイドが取り囲み、皆が口々にリディアの悪口を口にした。
「次の試験、応援していますわ!」
「リディア嬢が次の重要試験で1位を取っては大変ですもの」
「私はレティシア様とフェリシー様、どちらかに聖女になって欲しいの」
「皆、ありがとう…、嬉しい」
目を潤ませ感謝を述べるフェリシーに皆が優しい笑みを返す。
「そろそろ、日も暮れてまいりました」
「そうね、じゃ、頑張ってね、フェリシー嬢」
「ありがとう」
「では、ごきげんよう」
授業後、皆とお茶をし別れたフェリシーは口元をニンマリと緩ませる。
あの謁見室の場で皆がリディアを称賛し悔しい思いをしてから、次の日は皆と会うのが凄く怖かった。
だが、来てみれば謁見室での称賛とは真逆にリディアが卑しい女だという話で持ち切りになっていた。
(やっぱり皆思っていたのね、皆、解ってくれていたのだわ!)
「皆が応援して下さり、良かったですね」
「ええ!とってもとっても嬉しいわ!私皆の期待に頑張って答えなくちゃ!」
「はい、その意気です!」
(皆私の味方だわ!)
教室で見たリディアは完全に孤立していた。
(当然よね)
敢えてリディアに近づくことはしなかった。
(自分がやった事、しっかり反省して解ってもらわないと、ううん、自分で解らないと治らない事もあるわ、うんと傷つき嫌な思いをすることでないと解らない事もあるもの)
これだけ自分は傷つけられたのだ。
自分がどれだけ人を傷つけたのか、酷い事をしたのか解らせないといけない。
(うんと傷つき後悔しなさい)
次の試験で1位を取り、その後のテストで1位を取れば聖女になれる。
リディアが悲壮に暮れる様が脳裏に浮かぶ。
(泣きついて来てももう知らないわ…、いえ、だめね、聖女ですもの、泣きついてきたリディアに手を差し伸べて、今までの行いが如何に非道で悪い事かを説いてあげないといけないわ)
皆がリディアを改心させたフェリシーを敬う絵が浮かぶ。
「ふふ…」
そして、リディアの前でジークヴァルト殿下と手を取り合い白いウェディングドレスを身にまとう自分を思い描く。
皆がフェリシーを祝う。
ユーグやレティシアやアナベル様も、そこにサディアス軍師も思い浮かべる。
(そうだわ、リディアを改心させれば魔法は解ける、そうしたらサディアス軍師も正気に戻られて私を殺すなんて言わないはず、それに正気のサディアス軍師なら私を認めて下さるはずだわ!)
自分が聖女になれば全てうまくいく事に気づいたフェリシーは両手をぐっと握り締める。
「そのためにも、がんばらなくちゃ!」
聖女試験に向けて闘志を胸に抱くフェリシーだった。