72話

 絶望に陥ったフェリシーの目に血飛沫が映る。

「?!」

 男が血まみれになり突っ伏す。
 その倒れた後ろからサディアスが男に剣を刺したままフェリシーを目で捉えていた。

「サディ…アスさ…ま‥‥」
「これはこれは聖女候補様、まだ処女はご無事ですか?」
「!」

 青ざめた顔がカーッと赤く染まる。
 前の惨殺を目の当たりした事件で怖かったサディアスだが、今のフェリシーにとっては救世主に見えた。
 男をもう一度見る。
 もうピクリとも動かない。
 今度こそ助かったのだと解りホッと胸を撫で下ろす。
 そこでハッと我に返る。

「あ、あの助けに来て下さり‥ありがと―――」
「そうですね、本来は助けなくてはいけない、あなたは有力な聖女候補様ですから」
「?」
「ですが、無能な聖女候補はいりません」
「え…?」
「聖女には大人しく従順、もしくは状況を判断でき対処できる頭の良い方でないと困るのです」
「な…」

 暗に状況判断できない頭の悪い子と言われ、カッと頭に血がのぼる。

「私は筆記試験で1位です!あのレティシア様とライバルなんですよ!サディアス様も褒めて下さったではありませんか!私は大人しく従順じゃない事は認めます、でも!頭が悪い何てことありません!状況の判断や対処だってできます!」
「筆記試験などあんな役にも立たない形だけの試験に意味はありません」
「え…」

 思ってもみない言葉に言葉を失う。

「状況判断?対処ができる?今のあなたの状況のどこが出来ているというのです?」
「それは…私は騙されて…、でも、彼は戦の犠牲者です、だからこんな事を… そんな彼に手を差し伸べるのは悪い事ではないはずです!」
「戦の犠牲者?はっ、笑わせる、あれはただの愚民ですよ」
「それはあんまりです!サディアス様…、彼は話してました、ミクトランの戦で追われて難民申請を出しても肌の色で受け付けてもらえなかったと、とても可哀そうな人なんです、だからそう、嘘をつかないとやっていけない生活をしていたのだわ、だからもうそんな事しなくても大丈夫だと教えてあげれば、こんなこと‥‥」
「やれやれ、本当にここまで愚かだとは…」
「愚かって!人として当たり前のことを言っているだけです!」
「まったく…説明するのも面倒ですが一応あなたも聖女候補様ですからお答えしましょう、まず肌の色が違っても正規の手続きを取れば一時救済として難民を受け入れています」
「え…」

 これまた思ってもない回答に言葉を失う。

「ミクトランの戦と言いましたね、あれはミクトラン西部の国境付近の出来事です、わざわざ敵国へ逃げなくても北へ行けばいいだけの話、北部はまだ魔物の浸食も少なく平和だと聞いています、北に隣接しているヨルムやテペヨはミクトランの友好国です、他隣接国は我が国以外、敵対国ではありません、わざわざ敵国に逃亡などおかしな話」
「‥‥」
「それ以前に正規の手続きを行わないで入ってくる時点で既におかしいのです、怪しさしかない」

 全く知らなかった情報に動揺し、心がざわめく。

「大体、可哀そうな人だから悪い事をしてもいいなんて理屈が通ってしまったら世の中の平和が脅かされてしまう、解りますね」
「…それは…」
「まぁあの男は難民でもない、ただのこの国の凶悪犯でしかありませんが」
「え…?」
「おや、これだけ騙されてそれは信じたのですか?」
「っっ」

 カーッと羞恥に顔が真っ赤になる。

「やはりあなたは聖女に向きませんね」
「な…、今回騙されたのは知らなかっただけです!知ってればちゃんとできました!これからはちゃんと聖女としてふるまえるように頑張ります!」
「ちゃんと?既にレティシア様に良い様に踊らされているというのに?」
「?! そんな事あり得ません!友達を悪く言わないで下さい!サディアス様でも怒りますよ!」
「友達っふっ」
「何がおかしいのですか!」
「本当に愚か過ぎて失笑しか出てきませんね」

 やれやれと眉間に手を当てる。
 そのサディアスの目がベットの横に転がっていた芋を見つけ手に取る。

「そう言えば、前にレティシア様にクルル芋を貰いましたね」

 あの日の出来事を思い出し、フェリシーの顔が恐怖に青ざめる。

「クルル芋は私の故郷が産地なのですよ」
「え?」

 不意に故郷の話を始めたのに首を傾げ見上げる。

「そうそう知っていましたか?私の父は元々農民でこのクルル芋を作っていたのです」
「!」

 サディアス軍師の父が元農民の出だと初めて知り驚く。
 そんなフェリシーの前でクルル芋を手で弄ぶ。

「隣国との戦で陛下の窮地を助け、それ以外でも父の働きに陛下の確固たる信頼を得、陛下の配慮で父はなんと普通ではあり得ない侯爵家に婿養子と入り農民から侯爵になった、成り上がり侯爵と馬鹿にするものも大勢いますが私はそんな父を尊敬しています」

 初めて知るサディアスの父君の話に感心する。

「本当に素晴らしい方なのですね…、農民から侯爵だなんて有り得ないですもの」
「それ程に国王陛下の信頼を得たのですよ、父は」
「私も尊敬します、国王陛下のここまでの信頼を得られるなんて凄いです!」
「尊敬?あなたが?」
「農民出でそこまでなるには相当な苦労があったはず、それを成し遂げたのだからとても尊敬します!」
「ほぉ、じゃぁ、なぜ芋を受け取ったのです?」
「え…?」
「クルル芋を持ってきたのも、わざわざ私に渡してきたのも、所詮成り上がり貴族と愚弄するために用意したもの、私と父を侮辱したのです」
「!‥‥考え過ぎですわ」
「はぁ~ここまで話してもまだ理解しませんか?本当に愚鈍ですね、ちなみにあの時蒸してきたのも所詮あなたは私の手の中だと、幾らでも料理できることを揶揄してきたのです」
「レティシアがそんなことするはずないわ」
「ジーク派を追いやったアナベルの娘がそんなことするはずがないと?」
「話せばちゃんと解ってくれるいい子よ、オズワルド様の事だって話せばいじめるのをやめて下さったわ」
「ええ、貴方の前だけやめてくださいましたね」
「え…?」

 サディアスの言葉に心が凍る。

「少し調べれば解る事、おや?もしかして言葉だけで全て信用したのですか?」
「っ‥‥嘘…、そんな…」
「相手の意図も気づかず能天気に相手の思い通りに動く…ね、お解り頂けたでしょう、あなたは無能だ」

 ぐしゃっと芋を握りつぶす。

「無能な聖女はいりません」
「そ、それはこれから――ひっ」

 サディアスの氷のような冷酷な瞳に怯え息を飲む。

「これから?そんなものはありません」
「そ、そんな!一度の失敗だけで判断するなんてひどいです!」
「一度の失敗で?私はたった一度の失敗で母を死なせた」
「え…」

 信じられない言葉に瞠目し混乱した頭でサディアスを見る。

「私にも純粋な頃がありました、幼かった私は周りの思惑に気づかず受け取ってしまった父を殺す毒薬入りのお菓子を急な用事で留守になった父の代わりに母に渡してしまった、強力な毒でね、一口であっという間に泡を吹いて死んでしまいました」
「!」
「私の母が死んだところで、国家を揺るがす問題にはなりませんが、ジーク様が亡くなればこの国は終わりです、陛下と同等の発言権を持つその重要性をお解りか?無能な聖女ならそれが出来る、たった一度の失敗でジーク様を亡き者に出来るのですよ、その時また”騙された”と口にするのですか?”今度はちゃんと”と、ジーク様が亡くなった後では意味がないのに?」
「っ‥‥」
「一度の失敗も許されないのです」

―――― ザクッ

「ひっ」

 サディアスの剣がフェリシーの顔の横に刺さる。

「ここで私があなたを殺しても何とでも言い訳がたちます」
「!」
「選択しなさい」
「?」

「聖女になるのを諦めるか、ここで死ぬか」

「な…」

 唖然とし、サディアスを見上げる。
 冷酷な口調でその美しい唇が動く。

「あなたが死んでもジーク派にはまだあの女がいる」
「!‥リディア‥‥を聖女にするつもりですか?」

 ここでリディアのことが出た事にフェリシーの心に苛立たしさが沸き起こる。

「初めはあなたとも思ったのですが、ここまで使えないとは想定外でした」
「なっ、リディアはこんな事言ってはあれだけど、リディアは聖女候補の中で最下位で、勉強も魔法もダメな上、問題ばかり起こす問題児です!それに最初の試験だって私達は皆頑張って試験に臨んだのに弟を使って1位を獲得したりと卑怯な手を使って…あれはリディアの実力ではありません!私は聖女になるために凄く努力してきました!成績だってレティシアと並ぶほどまで頑張ってきたんです、それなのにサディアス様は私がリディアより劣ると言うのですか?」
「ええ、全てにおいてリディアより劣ります」
「!」

 サディアスの言葉が信じられないという様に首を横に振る。

「そんな…、サディアス様は間違ってます!リディアは授業中も寝てばかりなんですよ?私は聖女になるために凄く凄く頑張ったんです、物凄く努力してきました!」
「頑張ったから努力してきたからなど関係ありません、優秀かそうでないか、それだけです」
「それなら尚更ですっ、リディアと比べるなら私の方が絶対優秀です!だって事実私はレティシア様と競えるぐらいなんですよ?それにまず問題ばかり起こすリディアに聖女など務まるわけがありません!」
「それを判断するのはあなたではない」
「!」

 容赦なく切り捨てられ閉口する。

「まぁ無能でもあなたはジーク様を崇拝しているのは見て解ります、本来ならさっさと処分する所でしたが、あの女がもしもの時の保険に残すことも選択肢に入れてあげたのですよ、その時はあなたのなりたい聖女にならせて差し上げましょう、ですがすぐに違う形での新たな聖女試験を開始するために犠牲になってもらいますが‥‥」
「犠牲?どういう…」
「本当に頭が悪いですね、レティシアに聖女になられては困るのです、あの女に万が一あった時には一時的にあなたが聖女になり不慮の事故で亡くなるという段取りだと言えば解りますか?まぁ、聖女になれなくとも不慮の事故で亡くなってもらう段取りになりますが、そうすれば時間を稼ぐことが出来ますからね」
「! 私を…殺すの?!」

 顔を真っ青にさせサディアスを見上げる。

「まぁあなたのこれからの行動次第で、不慮の事故死と見せかけて助けてあげなくはないですよ」
「な‥‥」
「死にたくなければあの女が聖女になるように仕向けなさい」
「!」
「それとも、今ここで死にますか?」

 顔の横に刺された剣が軽く動き頬に一筋の血が滲み出た。
 今までと打って変わった冷淡な表情にサディアスの本気が伝わってくる。
 ゴクリと唾を飲み込む。
 背中に冷や汗が一筋流れ落ちる。
 死の恐怖に身体が強張り震える。
 同時に胸に渦巻く悔しさに奥歯をぐっと噛み締めた。
 悔しかろうともうその言葉を口にすることは出来ない。
 ギリギリと思いを抑え込むと、一つしかない答えを口にした。

「っ…、……解りました」

 フェリシーが答えを口にすると剣が抜かれ、そのまま剣が振り落とされる。

「ひっっ」

 ベットに括りつけられていた紐が解ける。

「もうすぐ兵が駆け付けてきます、その兵達と共にお帰りなさい、私はまだ後処理が残っています」

 ベットから降り剣を鞘に納めると念を押すようにあの冷酷な瞳で鋭くフェリシーを睨みつけた。

「いいですか、自分から聖女になるなどゆめゆめ思わないように、貴方の命は私が握っていることをお忘れなきよう」
「っ‥‥」

 そのまま部屋を出て行くサディアス。
 フェリシーは呆然とベットに座り込む。
 まだ信じられないという様にさっきの会話を何度も何度も思い返す。

「嘘…嘘よ‥‥っっううっっ」

 恐怖と怒りと悔しさに身体が震え涙が溢れ出す。

「‥‥私より…リディアを選ぶなんてっ優秀だなんてっっ嘘よっっ」

 自分がいつも不遇なリディアを庇っていた。なのにそんな自分よりリディアが有能だと言う。
 そんな事、あるはずがない。あの弟リオが1位をとった試験以外、最下位で頭の悪い問題ばかり起こすリディアが自分より上だなんて在り得ない。いつもフォローしてあげて手を差し伸べてあげていたのは自分の方だというのに。

(どうしようもないリディアを庇ってあげてたのに!それなのにリディアは私を騙し、更には私を見捨てたのよ?そんなあの子の方が上だなんて!優れているだなんてあるはずない!!)

 脳裏に恐怖に震え襲われそうになっていた自分を見捨て、窓から去って行ったリディアを思い返すと、怒りと恨みがぶわっと胸に込み上がる。

(恩を仇に返すようなリディアが私よりも上?頭だって私はレティシアと並ぶ成績なのに私の方が無能?そんなはずない!)

 リディアと違い誰よりも人のためにと頑張ってきた、そして聖女になるために頑張ってきた。それなのに寝てばかりで成績も最下位で問題児のリディアが選ばれるなんて。しかも自分より全てにおいて優れていると言ったサディアスの言葉がどうしても信じられない。

「どうしてサディアス様は解って下さらないの?!あの子はあの子は‥‥っ あ…」

 顔を両手で覆い涙していたフェリシーはふと思い出したように顔を上げる。

「そうだわ、サディアス様も誑かされていたのだわっ」

 勉強もできないのにサディアスの元で手伝ってたと大嘘をついたリディアの事を思い出す。

「だから、サディアス様はあんなことを仰ったんだわ!」

 でないと納得できない。
 そこでハッとする。

「このままではいけないわ…、皆のために何とかしないと…」

 決心するようにフェリシーがシーツの上で拳を握りしめた。