66話

 体についた泡が流されていくと、すっかりさっぱり綺麗に体についた血も流され、いつもの白い肌を露わにした。
 イザークが入浴から上がったリディアの髪を乾かし整えると、体に保湿クリームを優しく塗り込んでいく。
 片手を上げイザークに任せながら、鏡に映る自分を見る。
 あの義理家族の所に居た時からは考えられないぐらい痩せ細っていた体はメリハリの付いた良い体つきになり自分で見惚れるほど美しい姿になっていた。
 これ程までになったのはイザークの毎日の手入れのお陰だと思うと同時に、それだけここに居て月日が経ってきたのだなと感慨深く感じる。

(何か感傷っぽくなってるわね…)

「ほんと何やってんだか…」
「?」

 伺い見る様にイザークが鏡の中のリディアを見る。

「最近感情に突っ走ってるなーって思っただけよ」

 鏡台に置かれたディーノからもらった美しい簪を見る。
 久しぶりに怒り心頭したあれから感情が暴走しがちだなとため息を付く。

「もうすぐ生理かしら?」
「いえ、まだ先かと」
「‥‥」

 即答で答えるイザーク。
 身体の事は全て把握しているのは解っているものの自分より生理事情まで把握しているイザークってのはどうよと苦笑する。

(とにかく落ち着かないとね…、ゲームの中でマジになってどうすんだっつー話よ)

 そう思うとちょっと恥ずかしい気持ちになる。
 そんなリディアはふと甘く香る腕に鼻を近づける。

「今日のはとても香るわね」
「…気分が落ち着くかと思いまして」

 そう言うとたっぷりと塗りたくる。

「えーと…、塗り過ぎじゃ?」
「美容効果や保湿成分も入っているのでこれぐらい塗っても問題ありません…(消毒成分も…ボソ)」

 さらっと返す言葉にそういうものかと納得する。

(前世でも美容系は全然だったよなー、美人はこれぐらい皆頑張ってるのね…)

 化粧する前に塗る化粧水ぐらいしか使っていなかったリディアは世の中の美人に敬意を感じた。

「リディア様…ひとつ伺ってもいいですか?」
「何?」
「その…あの時リディア様は『似ている』と仰いました、その…どういった所がでしょうか?」

 ああそう言えばそういう事も言ったなと思い出す。
 恍惚とした表情で笑いながら惨殺するサディアスを思い返す。

(高校ぐらいの時は特にああいうキャラにハマったなぁ~)

 イザークが手を止めリディアを見る。

「出過ぎた真似を…」
「ああ違うの、別に大したことじゃないわ」
「?」
「そうね…、今出ているキャラの中で一番似ているというか」
「キャラ?」
「あ、えっとその、近しい人間で一番感覚が近いかなって思っただけよ」
「感覚が?」

 首を傾げ見るイザーク。

「その何て言うか、人を信じられないとことか、人の愛とか感覚が解らないというか‥‥」
「え…」
「ああ、別にイザークを信用していないとかじゃないのよ?」

 慌てて付け足しイザークを見上げる。

「その信用できるかできないかとか好きとか嫌いぐらいは解るわ、ただ最後の所まで信じられないだけというか‥‥」
「‥‥」
「ほら、全てを信じるというか心を開くのって怖いじゃない?」
「…それは少し解る気がします」
「そうなの、それとか簡単に愛してるとか言える人がね、どういう気持ちなのか…私には解らないというか」
「‥‥」
「愛って何だろう…、信じるってどういう気持ちなんだろうって…私には解らないから、サディアスも同じ感覚なんだろうと思うの」

 鏡の向こうを見る様にリディアが自分の目を見る。

「自分には絶対無理だって思うもの」

 それを考えると、いつもその先は真っ暗闇だ。
 答えも見つからない。
 ただ何故だか体の中が凍えるような震える感覚を感じる。
 だから、考えたりしない。
 答えは解らないのだから。

「ああやって残虐に殺せるのも、きっと鈍いのよ」
「鈍い…ですか?」
「白日夢のような感覚で生きているから」

(今の私は白日夢そのものよね)

 現実であって現実でない。
 不思議な感覚。

「リディア様?」
「ああ、ごめんボーっとしちゃって、それより今日はもう図書室は無理だから先に早めのご飯にして特訓に当てるわ」
「はい、ではこの後すぐに夕食の準備を致しますね」
「お願い」

(白日夢か…さっさと終わらせて早く一人のんびりしたいわ)

 リディアは髪の毛をくるりとまとめると鏡台の上の簪を髪に刺した。

 
 翌日、オーレリーの元に訪れたサディアスにフェリシーが震え一歩後退る。
 「まぁ当然か」と思いながらサディアスはフェリシーの前を通り過ぎる。
 その目が廊下の先を歩くリディアを見つける。

「‥‥」

 あの残虐シーンを見て平気な女性など見たこともない。
 泣き叫ぶか、腰を抜かすか、失神するか、いずれもそれ以降は自分の傍には色目使っていたモノでも恐怖に戦き近寄りもしなくなる。
 今のフェリシーの様に。

(リディア・・・)

 血まみれになった自分を見て美しいと言った女。
 リディアがこちらに気づき真っすぐに自分を見る。
 澄んだ青緑の瞳。

「今日もご機嫌麗しゅう」

 いつもと変わらぬ瞳が自分を見上げると、いつもと変わらぬ挨拶用の笑みを浮かべ会釈した。

(本当にどんな神経をしているのか…)

 そう思うと悪戯心が沸き起こる。
 そのまま通り過ぎようと思ったのを止め、スッと手を伸ばす。

「!」

 リディアの腰を抱き寄せると抗議しようと振り向き開いた唇の中に飴玉をポイっと放り込む。

「んぐ??この味…芋… 飴?」
「当たりです」
「なんで??」

 キョトンとする表情にくすりと笑うと

「故郷から仕官一同にと飴を大量に送ってきてね、あなたも一応手伝って頂きましたし…そろそろ、手を離していただけませんかね?」
「‥‥」

 イザークが後ろにねじ上げた手を離す。

「流石優秀なローズ家の執事ですね、この私が腕を取られるとは」
「本気でなかったくせに、今度は何を考えているの?」

 相手の思考を読み取ろうとするように睨む瞳。
 自分と同じ人を信用していない瞳。

「ジーク様も少しは見習ってもらいたいものです…」
「何を?」
「そうそう、あなたにちゃんと答えを出していませんでしたね」
「?」
「あなたのおっしゃる通り、私は端から人を信じてはいません」
「‥‥」

 すっとリディアの耳元に唇を寄せる。

「ジーク様が忠義に値する相手である間は100%信頼していますよ」

 そう囁くと直ぐに離れる。

「そう睨まないでください、何もしませんよ」

 イザークがリディアを胸に抱き込む。

「…条件無しでなんてあなたには無理よね」

 リディアの言葉にふっと笑う。
 いつも鋭い所を突いてくる。
 それはまるであの方と同じ。
 脳裏にジークヴァルトが浮かび上がる。

「あなたが言う様に、答えを聞いても私はあなたを疑うでしょう、そしてあなたもまた信用させようと行動する気もないのでしょう」
「ないわね」

 あっさり即答するリディアにまた笑う。
 彼女は聡い。
 そして美しい。

(この女が聖女になれば…)

 教会側の聖女となり、この国のジーク様の片腕となれば

―――― この国が、世界が安定する

 答えがフッと降りてくる。
 ジーク様の思惑に乗ってさしあげてもいいのかもしれない。

(それに…)

「やはりあなたとは気が合いそうだ」
「だから、何を企んでいるの?‥って聞いて答える人じゃないわよね」

 はぁっとため息をつくリディア。

(でもまだです、まだ今は…)

「そっくりお返ししますよ」
「‥‥」
「ですが、その力は必要です、逃がしませんよ」

 お互い睨み合う中、ここに来た用を思い出し踵を返す。

「それではごきげんよう」
「ごきげんよう」

(私は伝説など信じない、暴いてみせますよ絶対に…)

――― 私の手中に収めてみせる