58話

 平和に茶を嗜む聖女候補生達とは裏腹に、そこを走り抜ける男‥いや筋肉モリモリの女が額に汗かき駆け抜けていた。

「チッこの忙しい時にっっ」

 手に持つ書類を握りしめる。

「おいっどうした?」
「団長!」

 キャサドラが足を止め自分よりもデカいオズワルドを見上げる。
 そしてハッとして周りを見渡す。

「大丈夫だ、今は誰もいない」
「良かった…って、それどころじゃない!」
「どうした?」
「魔物が城の近くに出たと情報が入ったの」
「!」
「だけど、この書類も早くディアのとこに持ってかないとヤバいのよ」
「貸せ」
「いやいや、それはマズいって!」

 急いでオズワルドから書類を背に隠そうとしたが、それよりも先にオズワルドが手に取った。

「いけません、今はあのレティシアの護衛任務中、こんな事したらまた何を言われ何をされるやら」
「構わん、今は魔物が先だ」
「しかし――――」

―――ギャアギャアギャアッ

 不意に背後の茂みの方で鳥が騒ぐ。

「もしや中にも?!」

 瞬時オズワルドとキャサドラが茂みへと飛び込む。

「いやぁあああぁあああっっ」
「?!」

 見上げたそこには美しい女が淡い金髪を揺らめかせ落ちてくる。

「リディア?!」
「!」

 オズワルドの真上、バッチリと目が合ったリディアも目をまん丸く見開く。

「何をしている!風魔法を使え!!」

 少し離れた場所からキャサドラが叫ぶ。

「ダメっお願い!受け止めて!!」
「団長!!」

 地面に叩きつけられる瞬間、リディアの身体が宙に浮かぶ。

「うぐっ」

 服が喉に突っかかる。

「団長、それは余りにも…もっとこうお姫様抱っことか…色々あるでしょ?」

 キャサドラが額に手をやる。
 オズワルドが手にした剣先がリディアの首根っこの服を引っ掛けていた。お陰でリディアが宙にぶらんぶらんと揺れ動く。

「く、苦し…」
「‥‥」
「うわっっ」

 そのまま剣先が振られ地面に突っ伏す。

「団長!一応リディアも聖女候補です!丁重に扱わなければ…」

 オズワルドがプイッと顔を背ける。

「リディア…、団長に何したの?」

 温厚というより人に無関心の団長に嫌われるなど、なかなかにあり得ない。
 その目がリディアを見てピタッと止まる。
 こんな扱いをされたというのにリディアの顔が完全にだらけている。

(あら~、リディアは団長が好みか…)

 ニマニマと顔を緩ませリディアを見、そして仏頂面の団長を見る。

(これは中々に困難そうね…)

 苦笑いをしながら二人を見る。

(リディアと団長かぁ…)

 この二人が付き合ったらとか考えているとオズワルドが背を向け歩き出す。

「ちょっと待って…あ!」

 そこでキャサドラが閃く。

「おいっ」

 オズワルドの手から書類を奪う。

「だから団長はダメだって、てことで、よろしく♪」
「へ?」

 リディアの手にしっかりと書類を握らせる。

「私は城の近くに出た魔物を見てくるわ」
「おいっ」

 そんな情報をこの女にやるのかというようにオズワルドが慌てるも構わずに続ける。

「その書類、至急サディアスが必要なの、急いで持っていって」
「は?そんなの困るわ」
「木の上に居るぐらい暇なんだろ?さ、さっさと持ってって」
「うわぁぁあああっっ」

 リディアの腕を掴み上げるとその背に突風を吹かせサディアスの居る執務室へと思いっきり飛ばす。

「これでまるっと解決ね」
「一応聖女なのだろ?そんな扱いしていいのか?」

 キャサドラの行動に呆れたように口にする。

「団長、リディアはそんな悪い子じゃないですよ」
「!」
「では団長、失礼します」

 オズワルドの目の前を一瞬で消え失せ走り去るキャサドラの背を見、そして風で飛ばされヨタヨタ歩くリディアの背を見た。

(あれのどこが‥‥)

 汚いものを見る目でリディアを見る。

(あれは危険だ)

 その目がギラリとした殺意に満ちた目に代わりリディアの背を見つめた。

うろうろ…うろうろ…

 サディアスのいる部屋の近くで地団太を踏みうろうろする。

(よりによってサディアスの所って…ああっっこれはとてもマズいわ!)

 5日も行方不明になって完全に疑っているサディアスに今近づくのはとてもマズい。
 追及されても困るし、あのドS軍師が何を言い出すか解らない。

(どうしよう…これ急ぐのよね…いっそ紙飛行機にして飛ばそうか)

 手にした書類を折ろうとした時、バタバタと忙しそうに次々とサディアスの執務室に入る士官たちが目に留まる。

(これは…!…この士官たちに紛れ込んで、さっさと机に置いて退散すれば誤魔化せるかも)

 次々と部屋へ入る書類の山を手一杯に抱えた士官たち。

(よしっ行くわよ)

 仕官が部屋に入ったと同時に、その背後にぴったりとくっついて部屋に入る。

「サディアス様、書類をお持ちしました」
「そこに置いておけ」
「はっ」

 仕官が机に書類を置く。
 それに紛れ自分が持っていた書類をそっと机に置く。
 そのまま何事もなかったように部屋を後にしようとした時だった。

「そこの女待て」

ギクーッ

 肩を思いっきり上げピタッと止まる。

「何故お前がここに居る?」

(今見て無かったよね?どうやって気づいたの?!)

 ダラダラと背に汗を流しながら振り返る。

「あーそのー、キャサドラに頼まれて…」
「ドラが?」

 リディアの持ってきた書類に目を通す。

「これを至急殿下に」
「はっ」

 近くに居た士官がその書類を持ち急いで部屋を出て行く。

「じゃ、私もそろそろ…」
「待ちなさい」
「な、何か?」
「そこへお座りなさい」
「私も忙しいのだけど…」
「忙しい者をキャサドラが聖女候補生であるあなたを向かわせるなどあり得ません」
「うっ…」
「お暇なのなら少しお手伝いください」
「へ?」
「今は猫の手も借りたいほど切羽詰まっているのですよっっと」
「っっ!!」

 突っ立つリディアを無理やり机の前に座らされる。
 その机に山の書類がドンっと置かれる。

「なぁに筆記試験最下位のあなたでも出来る簡単な計算です、時間が掛かってもいいのでこの書類終わらせてください」
「はぁ?」
「それとも、この前のを問い詰められたいですか?」
「ぅっ…やります」
「よろしい」

 にっこりとサディアスが笑うとくるりと背を向けた。

「では、頼みましたよ?」
「―――はい」

(このドS軍師め!!)

 リディアが睨む。

「何か?」
「何でもありません」

(背中に目があるの?!)

「そう、時間が掛かると言っても日が暮れるまでには頼みますよ」
「‥‥」
「返事は?」
「はい!」

 厭味ったらしく大きく返事を返す。

(まったく、人の弱みに付け込んで!)

 くそーっと思いながら目の前に置かれた書類の一枚を手に取る。

「ん?」

 その書類に目が点になる。

(何これ…)

 簡単な計算だと言ったが、これは小学生低学年でも解けるほどレベルの低い書類だった。

(異世界転生でよくある、こちらの世界ではまだ文明発達していなかったパターンね)

 その内容にニマーっと顔を緩ませる。

(さっさと終わらせて退散してやるっっ)

 暗算でも解けるレベルの書類。
 あっという間に終わらせると、その書類の山をサディアスの机の上にドンっと置く。

「終わったから行くわね」

 さっさと帰ろうとするリディアの腕が掴まれる。

「待ちなさい!こんなに早く終わるわけがない、適当に数を書かれては…!」
「失礼な、これぐらい間違えるはずないでしょ?じゃ、行くわね」
「待ちなさい!」
「まだ何か?」

 ざっと書類の山を崩すも全てしっかりと数字が書かれその計算も合っている。

「まだ日が暮れるまで時間があります、次はこちらをお願いします」
「ちょっと!この書類が終わったら帰らせてくれると言ったわよね?」
「そんな約束はしておりません、時間が掛かってもとは言いましたが帰らせるとは言っていないでしょう?」
「ぅぅぅ‥‥」

 リディアが睨むも目の前にまたドンっと書類が置かれる。

「先ほどよりも少し難しいですが、これをここまで早く終わらせたのなら直ぐにでも終わらせられるでしょう?」
「ちょっこれさっきよりも多くない?」
「何か?」
「‥‥解ったやるわよ」
「そうですか、では頼みましたよ」

 ニッコリ笑うとまた自分の席に戻るサディアス。

(く―――ッ人の弱みに付け込んでッッ)

 わなわなと震えながらも一枚書類を手に取ると、また目を点にする。
 少し桁が増えただけで小学生でも解ける計算にまたニマーっと顔を緩ませる。

(なんだ、もっと面倒なのを押し付けられたかと思ったけど大したことないわね)

 これならと、またあっという間に書類の山を処理し終えるとサディアスの机の上にドンと置いた。

「ここまでやったのよ、もう帰っていいわよね?」
「は?もう?…全て…合っていますね…」

 サディアスが驚いた表情で書類を見る。

「じゃ、帰るわ」
「待ちなさい」
「何よ!」
「まだ日は暮れていませんね」
「!」
「次はこれとこれを…ああ、これも、それにこれとこれを…」

 リディアの机の上にまた書類の山が出来る。

「お願いしますね」
「っ――――」

 睨み据えるリディアにニッコリと笑うとまた背を向ける。

(ドS軍師最後までこき使う気ね!…だったら)

 書類を見る。
 今度は色んなレベルの計算が必要な書類だ。
 とはいえ、どれも小学生レベルだ。
 難しいのでも簿記を知っていれば簡単なもの。
 学生時代適当に資格を取った中に簿記も取得していたので全く持って内容的には問題ない。
 問題なのはサディアスだ。

(これをやったら絶対逃げてやる!)

 闘志に燃えたリディアがまたあっという間に終わらすとペンを置く。
 ちらりと見るとサディアスが手に持った書類に目を通していた。

(今ね)

 リディアがそうっと机の下に潜ると、そのまま背を低くして扉へと向かう。

(よしっ)

 そのまま扉に手を掛けた瞬間、

「っ、待ちなさい!」

(誰が待つかっっ)

「ごきげんよう、軍師殿」

 そのままドアの外へと飛び出す。
 パタンと閉まったドアにサディアスがはぁーっとため息をつく。

「やはり、ちょっと難易度が高過ぎましたか…」

 あまりにあっという間に計算を解いてしまうからつい難易度の高いレベルの書類まで任せたものの、逃げていった彼女にやれやれと肩を撫で下ろす。

(私に何か言われるのが怖くて問題が解けず逃げ出したか… !)

 リディアの机の上の書類を手にして目を見開く。

「これは…」

 ババっと書類の山を崩し、次々と書類に目を通す。

「まさか…、こんな短時間に?」

 全て計算が解かれ、その計算も全て合っていて見事に完了していた。

「これで最下位…」

 ここまで計算が出来、書類の内容を理解出来るのに筆記試験が最下位などあり得ない。

――― どうして最下位なのか考えたのか?

 ジークヴァルトの言葉が脳裏に蘇る。

――― あいつは初めから聖女になるつもりはないと言ったら?

 知ってて最下位を狙っていたとしたら?
 本気で聖女になるつもりがないとしたら?
 魔物を浄化できる魔法を使える女。
 ここに居れば生涯安泰だというのに本当に逃げたがっているとしたら?
 その理由は‥‥

―――― 自分が聖女だと知っている?

 脳裏の思考が一本の線に繋がる。
 聡い女だ。
 自分が利用されるのを恐れているのか、それとも面倒ごとに巻き込まれるのが嫌なのか、そういった類の理由で逃げる可能性は十分にあり得る。
 
「まさか…本当に‥‥」

 ドクドクっと鼓動が高鳴る。

「いえ、まだ答えを出すのは時期尚早」

 外と繋がっていて聖女ではなく別の目的の理由があるのかもしれない。
 伝説の聖女など夢物語をそう簡単に信じるわけにもいかない。
 他の理由を探る必要がある。

(これは…確かめねばなりませんね)