12話

 こうしてリオの能力を目覚めさせるキッカケとなった運命の日が訪れる。

 僕は冷たい風なのに心地よいと感じながら姉さまの寝顔を見下ろす。
 きっと心の高揚があの日から納まっていないのだろう。
 今の季節は寒いはずなのに、それを全く苦に感じない。
 こうして姉さまの眠る姿を一つ上の木の枝から眺め降ろすのが今の日課だ。
 それがまた幸せでたまらない。
 あの幽閉生活の12年間を過ごした僕が、誰かと一緒に過ごす日々が来るなんて思ってもみなかった。
 今この一瞬一瞬がどうしようにもないほど幸せでたまらない。

 姉さまはあれからも色々と僕に教えてくれた。
 この前もパンを半分布に包んで食料貯蓄するという事を教えてくれた。
 もちろん、違う。リディアは非情にも、もともと独り占めにしようとしていただけだ。
 だが今のリオにはリディアがすることなすこと全てが自分のためと思える脳内変換機能が完成してしまっていた。きっとリディアがパンを独り占めにしたとしても、それを教訓だと思う程にリディアの成すこと全てを見事にリオの中で脳内変換されていた。

(あ、姉さまの髪に葉っぱがついてる)

 今はもう、こうやって逃げ隠れも覚えたおかげで暴力を振るわれる回数がとんと減った。
 それにこうやって姉さまと居る時間が増えたことも幸せでならない。
 こんな日々ならいつまでも続いてくれてもいいなと最近では思えるようになった。
 死のうとか、生きる希望を失くし絶望の日々を過ごしていたのが嘘のような気分だった。

「ん…」

 手を伸ばして髪についた葉っぱを取ろうとしたら姉様が目を覚ました。

「姉さま、起きた?」

 僕は姉さまの顔を覗き込む。
 こうして自分が声を出して話しかけることが出来ることも、幸せでならない。
 今まで僕は喋ってはいけない、口を利くことさえ許されない存在だった。
 だけどそんな僕みたいな存在の言葉も姉さまは聞いてくれる!

「おはよう、姉さま!」

 姉さまは僕が話しかけても許してくれた。
――リセットしているからね。
 姉さまは何も言わずにただただ僕の話を聞いてくれる!
――リセットしているからね。
 いっぱい喋ってもいつも黙って僕の話を聞いてくれる!
――リセットしているからね。

(優しい僕の姉さま、大好きだ!)

 リディアがまるっと無視を決め込んだのも見事にリオの中で脳内変換されていた。
 こうして木の上で一緒に居るのも許してくれて、最近では一緒に居るのも許してくれている。
 僕はきっと姉さまに認められたんだ。
 そう思うと嬉しくてたまらない。
 もちろん、事実は違う。
 リオのチート能力のお陰で撒いても見つかると解ったリディアがあっさりと逃げるのをあきらめただけだ。

「姉さま、僕もうミルクを取ってきてあるから、あとはゆっくりして大丈夫だよ!」

 この時は幸せ過ぎて僕は有頂天になっていた。
 この後人生で初めて嫌というほどの後悔を体験することになる。

 そう、あの運命の日が訪れる。

 僕は姉さまの気配を今ではしっかりと把握していた。
 だから、姉さまがいつもと違う動きをしたこともすぐに感づいた。
 後を追ってみると、姉さまがまず入る事のない義妹の部屋に入っていくのを見て内心驚く。

(危険の高い場所にどうして?)

 少しでも気づかれれば、ただでは済まない。
 身を隠す事にはだいぶ慣れたけれど、緊張の面持ちで僕も姉さまの後を追って部屋に入ると、姉さまは一つの引き出しを引き出していた。
 中に何が入っているのか気になって覗いてみると、キラキラした装飾品がたくさん入っていた。

(これをどうするんだろう?)

 姉さまの手が一つの装飾品を手に取った。

(そうか!また教えてくれているんだ!)

 僕は姉さまの真似をして、手を伸ばし一つ手に取る。
 すると姉さまが僕を一瞬凝視した。

(?)

 だけど、一瞬だけで姉さまはいつものように何事もなかったように背を向けた。
 この時の凝視した意味を僕はもっとちゃんと考えなくちゃいけなかったんだ。
 姉さまが伝えたかったことを、僕が気づかなくちゃいけなかったんだ。
 僕がもっと状況を判断できるよう自分の頭で考えなくちゃいけなかったんだ。

 その装飾品がお金に換えられるお店があるという事をこの後知った。
 僕は初めて手にするお金に興奮した。
 姉さまはこれでいつもクッキーを買ってくれてたんだと知る。
 僕も手に入れたお金で姉さまのために今度何か買おう!と姉さまが喜ぶ姿を思い浮かべ暢気に心を弾ませていた。

―― それがこんな悲劇を起こすなんて、思ってもみなかったからだ。

 その夜、義妹のけたたましい怒鳴り声が屋敷中に響き渡った。
 それと同時にお手伝いさん総出で家中を姉さまを探して捜索し始めた。
 僕は驚き恐怖に『ここなら大丈夫だ』と思った場所に咄嗟に隠れた。
 そこは姉と初めて隠れたソファの下だった。

 そんな僕の目にリビングに引き摺り出される姉さまがいた。
 そして義妹が言った一言で、僕はとんでもない重大な過ちを犯していた事に気づいたのだ。

「一番お気に入りのアメジストのペンダントを盗むなんて!この盗人が!!」

 あの姉さまが一瞬凝視した意味を。
 僕が手にした代物が原因だという事を。
 姉さまの手にした髪飾りを義妹は気づいていない。
 僕が手にしたあのアメジストのペンダントしか義妹は指摘しなかった。
 そう、全てが僕が原因だという事を。

(ぼ、僕…と、とんでもないことを…)

 そんな僕の目の前で怒涛の罵倒と共に凶器で姉さまが思いきり殴られた。
 それはスローモーションのように見えた。
 姉さまのお腹に鉄の棒がめり込んでいく。
 姉さまの口から血が噴き出る。
 姉さまの体がゆっくりと床へと落ちていく。

(!)

 恐怖に僕は目を見開き、ただ両手で口を押え強直したまま、ただただ目の前の光景を凝視した。
 目の前で姉さまが沢山の凶器で殴られていく。
 姉さまの体からあちこち血が飛び散る。
 抵抗しない姉さまに大勢の大人と義妹二人がこれでもかというほどに殴り続ける。

(姉さまっ…姉さまっっ)

 僕が原因なのに。
 僕は出ていくことも怖くてできない。
 ごめんなさいごめんなさいと、何度も心の中で呟く。
 姉さまは何も言わない。
 僕がしたとも言わないで、ただ無抵抗に殴られていく。
 それが更にリオの心を抉った。

(僕のせいだ!僕のっ僕のせいなのにっっ)

 だけど、飛び出さなきゃと思うのに恐怖に固まって動けない自分がまた情けなくて許せなくて。
 とても長い時間、大きな怒声と殴る蹴る音が部屋中響き渡るのを聞きながら目を見開きガタガタ震え体を硬直させた。ただただ姉さまがボロボロになっていく姿を息を潜め見つめていた。
 とても現実とは思えないほどの惨劇が目の前で繰り広げられるのを唯々目を見開き見つめていた。

 どれほどの時間が経っただろう。

 ピクリとも動かなくなった姉さまが屋根裏部屋へと引きずり放り込まれ、リビングにも人がいなくなったのにも関わらず、しばらくは放心して動けなかった。

 屋根裏部屋に戻らなくちゃと思うのに、ここに来て初めて屋根裏部屋へ戻るのが怖かった。

 先ほどの怒号が嘘のように静まり返ったリビングの床に拭き残された血が目に付く。
 それが現実に起こった事なのだとリオの胸が強く軋む。

(行か・・・なくちゃ・・・)

 放心状態の僕の心がそう呟いた。
 僕はソファの下からやっと這い出る。
 そこから屋根裏部屋まではそこまで距離がないはずなのに酷く長く感じた。

 ドアの前で開けるのを一瞬戸惑う。
 こんなことになったのだ。
 流石の姉さまも僕を嫌いになっただろう。

(姉さま…)

 もう許してもらえないほどの過ちを僕はしでかしてしまったんだ。
 そう思うと更に胸が軋んだ。

(謝らなくちゃ!)

 姉さまに嫌われたとしても、謝りたい!
 そう強い思いに駆られドアを開けた。

「ご、ごめ・・ご・・・」

 そこには血まみれの姉さまがベットにもたれかかって座っていた。
 その血まみれでボロボロな姿にぶわっと涙が溢れ出た。

「ごめ・・なさい!! ごめ・・・っっ」

 体が大きくガタガタと震える。
 自分のしでかしたことの大きさを実感し涙と震えが止まらなかった。
 だけどこんな僕を罵るでもなく、怒るでもなく、姉さまはちらっとこちらを見ただけで、何も言わず血が止まらない腕に布を巻きつけていた。

「ぼ、僕がっ…」

 止血しようとしているんだ!そう気づいたら、僕は姉さまに駆け寄っていた。
 ボロボロ止まらない涙を流しながら姉さまの腕に布を巻きつける。
 そんな僕の行為も何も言わずさせてくれた。

「い、痛かったら言って!」

 僕は水を布にしみこませると、必死になって血みどろになった姉さまの体を拭き始めた。
 それもまた姉さまは何も言わずにさせてくれた。

「!姉さま?!」

 不意に倒れ掛かってきた姉さまを焦って抱きとめる。
 意識を失ったボロボロの姉さまを見て、また涙がぶわっと溢れ出した。

「ごめ・・ごめんなさい…姉さま!」

 僕のせいなのに、最後まで姉さまは何も言わずに僕の代わりに殴られてくれた。
 僕のせいなのに、何も言わず許してくれた。
 僕を攻めてくれてもいいのに、姉さまは…本当に優しい。

「!」

 そこでリオはハッと気づく。

(そうか、これは姉さまが僕に身をもって教えてくれたんだ!)

 まるっと見事にリオの中で脳内変換された。

(だから何も言わず、僕に背で教えてくれたんだ!)

 とめどなく零れ落ちていた涙をぐっと歯を食いしばり止める。

「姉さま、見てて、僕、もう二度と絶対姉さまにこんな思いさせないから」

 こうしてリオの能力を目覚めさせる運命の幕開けとなったのだ。