71話

 フェリシーは余りの恐怖にかたく目を瞑りありったけの声で叫んだ。
 すると不意にずっしりとお腹の辺りに重みを感じた。
 恐る恐る目を開けると今自分を抱こうとした男が自分の腹の上で突っ伏していた。

「やっぱ男性向けは私に合わないわ~、ああでも…イケメン相手ならまだいけるかな」
「!」

 ハッとして声のした方を振り返ると、リディアが部屋の端に置かれた机の横の壁に凭れ掛け複数枚の紙を手に持ちひらひらと仰いでいた。

「リディア!」

 リディアを確認し自分は助かったのだと確信する。

「よかった…怖かった…、でもまさかリディアが助けに来てくれるなんて!なんだかんだ言ってもやっぱり優しいのね!!」

 色々確執はあっても助けに来てくれたリディアに嬉しくて満面の笑みで見た。

「誰が助けるって?」
「え…?」

 喜んだ瞳が怪訝な瞳へと変わる。

「何言ってるの?助けて…くれるんでしょ?」
「どうして?」
「どうしてって!今私襲われているのよ!ね、早くこの縄を解いて、男が起きてしまうわ」
「助けるわけないでしょ?自分で責任取るって言ったじゃない」
「!」

 フェリシーがハッとして助けを求める言葉を飲み込む。

「手際が良いわね、あの男、この後まだ3人も相手する段取りになってるわ、更に明日以降もこんなに」

 リディアが手に持った契約書らしき複数枚の紙をフェリシーに見せる。
 それを目にしフェリシーの顔が青ざめる。

「大人気ね、あの男も下で嬉しそうに高級ワインに高級肉を頬張っていたわ」
「!?…う…そ…、彼は友の医療費が‥‥」
「あらそれも踏まえて助けたのでしょ?」
「?」
「嘘には事情があるとか?道を直すとかなんとか言ってなかったっけ?」
「!」

 ハッとして脳裏に男を連れて抜け出す前の会話を思い出す。

「あ‥‥、違うの!私が言ったのはこういう事じゃないの!」

 フェリシーが思わず叫ぶと腹の上の男の体がぴくっと動く。

「ひっ、お願い!助けて、リディア」

 必死に縋るようにリディアを見上げる。

「嫌よ」
「!ひどいっ、こんな時に苛めないで!早くっ、このままでは私この男に襲われてしまうわ!」
「それを選んだのはあなたでしょ?」
「だからこういう事を望んだわけではないの!それに今そういう話している時ではないでしょ?人が目の前で襲われそうになっているのよ?早く、お願い助けて!」
「そういう話じゃない?ふざけないで」
「っ?!」

 リディアが下衆を見るような目でフェリシーを見下ろす。

「あなた、あの男に金品を渡したでしょ?そして聖女の徴も男に見せたわね」
「だってそれは…真っ当な仕事に就くために…ちゃんとご飯も食べられれば犯罪も犯す必要はないから‥‥」
「あの男はそのお金でこの家を買い、そして”聖女を抱ける”と言いふらし、こうやって高額取引で契約を幾つも取り付けた」
「!」

 契約書を一枚ひらひらと揺らす。

”‥‥、実は密国した時手助けしてくれた人が居る、その人の所に行って話をしてみるよ”

 初めから嘘だったのだと思い知る。
 役人の様子を見に外に出ていたのは、この自分を売春させる契約を取り付けるために走り回っていたのだと。端から役人に見つかったら殺されるとかじゃない、自分が金になるから連れ去られたのだと気づく。

「知らなかったの…、私騙されて…、許して、お願い!リディア!助けてっ」
「被害者面するのはやめて、虫酸が走るわ」
「私は被害者よ!騙されてたのよ?それに売春までさせられて!」
「知らなかった?騙された?あなた頭でちゃんと考えたの?こうなることぐらい少し考えれば解る事、それとも何?私なら凶悪犯を更生させてあげられるとか思っちゃったわけ?確かにそうなればドラマチックで素敵で絵になるし、気持ちいいし、皆の心を打つ優しく素晴らしいヒロインだものね」
「っ‥‥」
「でもね、更生できる凶悪犯なんて稀よ?楽して金が手に入る成功体験をいっぱいした奴が辞められると思う?人を簡単に何人も殺し人身売買から薬と悪事に手を染めまくった奴がよ?」
「でも…、稀でも更生できる可能性は…」
「そして手を貸してどうなった?」
「今回は私がうかつだったことは認めるわ、でも次は―――」
「これ」

 ずいっと目の前に聖女の徴と同じ柄が描かれた紙を突き出す。

「あの男、この絵柄の徴と同じ焼き印を作っていたわ、何故だと思う?」
「?」
「男はさらに数人、この家の部屋の数だけの女を拉致監禁し、この焼き印をあなたと同じ場所に押そうとした、”聖女”モドキを量産してもっと儲けようと思ったのね」
「!」

 思っても見なかったことで驚き言葉を失う。

「被害者は彼女たちよ」
「!」

 リディアの言葉に息を飲むも、首を必死に横に振る。

「その子達には悪い事をしたと思うわ!でも私も騙されて!」
「だから被害者面やめろっての」
「!」

 急に語気が荒くなり驚きリディアを見る。

「凶悪犯を更生させるとか、次こそとか、あなたどこを見ているの?」
「?」
「あの時、被害者の事をちゃんと思い浮かべた?」
「それは…」
「普通に暮らしていて、何もしていない、何も知らない人達が、ある日突然全てを奪われた、殺されたりお金を奪われたり、そしてあなたの様に売春やレイプされたり、そうなった人の気持ちを、そうされた親の気持ちを考えた?」
「もちろんよ、でも――――」
「嘘ね、本当に考えていたら、自分を、自分の子や家族から幸せを普通の暮らしを奪った男を許せるはずがない、殺したいほど憎いに決まっているでしょ」
「!」
「は?次は?更生させるまで手を貸すの?そしてどんどんそうした普通の生活を送っていた人たちの犠牲を増やすの?」

 リディアがフェリシーの目を真っすぐに見下ろす。

「その犯罪者を庇ったあなたも加害者よ」
「…ちが…‥‥」
「あなたがあの時、あの男を兵に差し出していれば、拉致監禁された女性たちは今も普通に幸せに暮らしていたの、その普通の暮らしを幸せをあなたが奪ったの」
「っ‥‥でも私もっ」
「何もしていない、本当に何も知らないあの女性たちこそが、本当の被害者よ」
「‥‥」
「助けなくてはいけないのは誰?それは被害者でしょ?」

 言葉を失くすフェリシーの前に立つ。

「私が手を差し出すなら、本物の被害者に差し出すわ」

 そしてくるりと背を向ける。

「あなたじゃない」
「待ってっ!!お願いッッ」
「私はここにあなたのせいで拉致監禁された女性たちを救いに来ただけ」
「!」

 そのまま歩き出す事に焦り、必死にフェリシーが声を上げる。

「待って!待って!ごめんなさい!反省するわ!だからお願い助けて!!」

 背を向けたリディアは動きを止め、少しだけ考えるように頭を傾ける。
 リディアが止まってくれて少しホッと肩を撫で下ろす。

(助けないと言っても、やっぱり最後は見捨てる気はないのね)

「リディ―――」
「‥‥戦がすべて悪い、人の命は大事、犯罪者も人で救いの手を、耳障りが良い言葉よね、凄く良い事を言っていると思うわ、でも、その先をあなたは考えた?」
「え?」

 足を止めてくれたことで助けてくれるのかと思ったリディアが、急に関係ない話をしてくるのにフェリシーがきょとんとして見る。

「考えれば、戦が全て悪いとか言えない、戦いが悪なら植民地は今も植民地のままだったでしょう?人の命も平等でない事も、救いを出してはいけない人物がいる事も、世にある正論だけが全てでない、本当に大事なものが何か、守るべきものは何か、それが見えてくるはずよ」

 助けてくれるどころか、こんなに窮地で一刻を争う時に友人のその姿を見もしないで更に説教してくるリディアにだんだん怒りが湧いてくる。 
 だけど今縋るのはリディアしかいない。
 フェリシーはぐっと怒りの感情を抑える。

「解ったわ、私が悪かった、もっと考えるから、お願い、助けて」
「最後の忠告無視したのに助けるはずないでしょ?自分が責任取るって言ったのよ?」

 その言葉に抑えていた怒りが爆発する。

「っ、やっぱりあなた最低ね、こんな時でもへりくつばっかり!!考えて考えてって、戦は悪い事、人の命は平等であるべき、救いを出してはいけない人なんていないわ!当然の事でしょ?!それに今こんなこと話してる場合じゃないでしょ!ぐだぐだ言ってないでそれよりも―――」
「だから、それは人の受け売りでしょ?自分で少しは考えてみたらどう?」
「もう!あなたこそちゃんと考えて!今はそんな話をしている場合じゃないでしょ?人が弱ってる時に偉そうな態度をとるなんて最低の人間がする事よ!自分が酷い事してるって解らないの?そういう態度があなたを孤立させるのよ?私は貴方が弱っているとき手を差し伸べたでしょ?それに偉そうに自論語るのは良いけれど、あなたこそもっとちゃんと勉強しなさい、ちゃんと勉強し、世間の不道理に目を向ければ、そんな酷い考え方にはならないはずよ!」
「フェリシー、私は貴方を見下していないし、貴方より下でもない」
「そんなこと思って―――」
「ならどうして、偉そうだと思ったの? ただ ”考えて“ と言った言葉をそこまで拒絶するの?」
「それはリディアの意見がおかしいからよ!」
「なら、私の意見はどうでもいいから、あなた自身で ”考えて“ 」
「考えて考えてって、私はちゃんと考えているわ!」

「ならもっと奥まで、その背景、視点を変え、その先まで考えて!!」

「っっ」

 急に大きな声を張り上げたリディアに驚き口を噤む。 
 
「リディア様、そろそろ」

 窓の外を見ていたイザークが口を挟む。

「姉さま、女性達を言われた場所に連れ出してきたよ」

 スッとリオが現れる。

「では行きましょう」
「え?!」

 フェリシーはそのまま行こうとするリディアに慌てる。

「待って!!お願いっっ ひっっ」

 男が意識が戻って来たのか体を捩らせる。

「お願い!!助けて!!私が悪かったの認めるから!だから!!」

 必死に言い募るフェリシーに振り返る。

「言ったでしょ?私は本物の被害者しか助けない」
「その女性たちの事は私が悪かったわ!本当にごめんなさい!だからお願い!!助けてっっ」
「私が助けなくても、あなたは聖女候補様よ?そろそろあなたの情報を聞きつけて城の者が助けに来てくれるわ、それじゃぁね、ごきげんようフェリシー」
「待って!!それじゃ遅いの!!リディアぁあっっ」

 リディアがイザークに抱き上げられるとリオと共に窓から姿を消した。

「そんな…」

 愕然とするフェリシーのお腹の上で倒れる男がもぞもぞ動き出す。

「い…や‥‥だれ‥‥か‥‥」
「ん…?」

 恐れていた男が目を覚ました。

「はっ、しまった、寝てしまったのか?時間は?」

 目を覚ました男が急いで時計を見る。

「ほっ、まだ時間はあるな、さっさと続きをやるぞっっ」
「離してッッ」

 掴んだ足をじたばたさせるが、簡単に押さえつけられる。

「暴れても無駄だ、もうあまり時間が残ってないんだ、ほら股を開け」

 そのまま大きく足を開かされる。
 リディアが去った今、全てが終わりだと知る。

「な…んで…私が‥‥こんな‥‥」

 涙が零れ落ちる。

「さぁ入れるぞ」

 全ての時間が止まったように感じた。