(いけない…)
リディアを置いて囮になり走るイザークは行き止まりに『しまった』と足を止める。
(ここまでか…)
置いてきた主の方向を見る。
(命令を背いてすいません、リディア様…どうかご無事で…)
覚悟を決めるように佇むイザークの目の前に追手が迫る。
「よし!捕えた!!」
「‥‥」
「っ!」
イザークを捕まえようと延びた手が宙を掴んだまま地面に突っ伏していく。
「?!」
「全く、この忙しい時に」
眉間に皺を寄せ、その倒れた背後からサディアスが現れる。
「サディアス様…」
「あの女は?」
「どこかで身を隠しているはずです」
「そう、ではお前は私に付いてきなさい」
「はい」
サディアスの背に付いていくその足が一瞬戸惑う。
「何をしているのです、行きますよ」
「…はい」
そこはあのアナベルとジークヴァルトが居る場所だった。
「あら、これは軍師殿、‥‥・それに」
アナベルが目を細めイザークを見る。
ジークヴァルトも二人を見やる。
「これはこれはアナベル様、今日もお美しく麗しくいらっしゃいますね」
「ほほほっ、相変わらず口がお上手ね、それよりもその背後に居るのはどなたかしら?」
「ああ、これは私の管轄にあります聖女候補リディア嬢の執事を任しているモノにございます」
「あら?あなたが管理していらしたの?てっきりジークヴァルトが飼っているのかと思っていたわ」
「それはそうと庭が騒がしいのですが、如何いたしましたか?」
サディアスの言葉にアナベルがまた扇子を口元に開く。
「ええ、そのお前の後ろにいる魔物が聖女候補生を誑かしたため処分をするのに探していた所よ、軍師が連れてきてくれて助かったわ」
「おや、おかしいですね」
「?」
「彼は眼は紅いですが魔物ではありません、どうして魔物と間違えたのか謎ですね、調査をしなくては…」
「その必要はないわ」
「アナベル様はご存じで?」
「それは黒魔法を使ったと情報を得ているの、その執事は間違いなく魔物よ」
「そうですか…、ではその情報をよこしたものをこちらに呼んでください」
「私の話が信用できないと言うの?」
アナベルの瞳が冷酷にサディアスを睨みつける。
「信用しないとは言っておりません、ただ事は聖女試験に関わる大きな問題にございます、慎重に調査する必要があるというだけにございます」
「‥‥」
サディアスの言い分に仕方ないわねと近くの臣下にその者を呼び寄せるように命令する。
するとすぐにアナベルの元に一人の兵士がやって来た。
(こいつか…、確か一番端にいた奴だな…)
あの試験の日、護衛に立っていた一番端の兵だとすぐに気づく。
ずっと顔を見せないように俯き加減だった男だ。
(アナベルの手下だったか…)
「さぁ、証言なさい」
「はっ、私はあの試験当日、殿下やサディアス様、そしてあの聖女候補生リディア嬢がいるスタート地点におりました!ですが、彼女は試験開始してもスタート地点に残りあろうことかその魔物に黒魔法を使わせている所をハッキリとこの目で見ました!」
アナベルに即された臣下が大きな声で発言する。
「どう?あなた達もこのモノを見たのではなくて?」
ジークヴァルトとサディアスの表情を見、目元をニヤつかせる。
「そうですね、確かに居ました」
「これでハッキリと証明したわ、さぁその魔物を処分なさい!」
アナベルが手を翳す。
イザークが覚悟を決め首を落とす。
「お待ちください」
「待っていました、どうぞこちらへ」
「?!」
そこにオーレリー枢機卿が現れる。
「オーレリー…どうしてあなたがここへ?」
「私が呼んだのですよ」
「ロドリゴ教皇は留守のため、私が代理で参りました」
翳した手を戻し、また扇子を口元に充てる。
「あなたの臣下の発言だけでは決めつける事はできません、実際に聖女試験を行っているモノにも確認を取る必要があると思いまして、ここにお呼びしたのです」
「私の臣下が嘘をついてると?」
「確認しなくては解りません、では、オーレリー枢機卿、あなたはこの者が黒魔法を使ったか確認は取って頂けましたか?」
「はい、ほら、こちらに来なさい」
そこにひょこっと顔を出した男にジークヴァルトの顔が上がる。
「お前は…」
「試験以来にございます、殿下」
「この者はジークヴァルトの臣下か?そのようなモノ信用できませんわ」
「いえ、臣下ではございません、当時の試験官にございます」
「!」
「あの日、初めてお会いしたそれ以外は殿下ともサディアス軍師ともお会いしたことはございません」
男は頭を下げ応える。
「では聞きます、あの日、この者は黒魔法を使いましたか?」
皆息を飲み男を見守る。
「いえ、私は見ておりません、リディア様のために膝枕をしているのは見ましたが、黒魔法を使っているところは見ておりません」
「!!」
「嘘を仰い!私の臣下が嘘を言っているというの?」
「お言葉ですがアナベル様」
そこでオーレリー枢機卿が言葉を挟む。
「私達はアナベル派ともジーク派とも属さないこの国の神と聖女に身も心も捧げている独立した立場にございます」
「‥‥」
「殿下や軍師の言葉で私共は靡いたりは致しません、逆にアナベル様、貴方にも…、さらに言えば陛下が何と仰ろうとも私達は身も心もこの国の神と聖女様のモノにございます」
アナベルの扇子を持つ指がギューッと握りしめられる。
「私達はこの神聖な儀式に不正はあってはならないといつも目を光らせております」
「アナベル様、公平さから言っても、また試験官の意見とあなたの臣下の意見、どちらに信憑性がございましょう?」
サディアスの畳み掛ける言葉にギリっと奥歯を噛み締める。
「そう、解ったわ」
パチンと扇子を音を鳴らし畳む。
「そうまで言うならば仕方ないわね、では失礼」
ギロリとジークヴァルトを睨みつけると臣下を引き連れその場を去る。
そのアナベルが去ったのを確認すると皆がホーっと肩を撫で下ろす。
「ここまでご足労感謝いたします」
「いえ、大したことではございません、それでは私もこれで…」
「おお、礼を言うぞ、オーレリー」
頭を下げオーレリーは連れてきた試験官と共に立ち去る。
「全く、この忙しい時に面倒を起こさないでくださいまし」
「助かった!いやぁ、今回はなかなかにヤバかったぞ」
そう言って笑うジークヴァルトにはぁ~~っとため息をつく。
「こちらも相当肝を冷やしました、あのオーレリー枢機卿にその神官、あの者たちがどちらに付くかは賭けでしたので」
「あのオーレリー、結構リディアを気に入っている様に見えるからな」
「おや、お気づきでしたか」
「ああ…」
ジークヴァルトの眼が細まる。
(なかなかに食わせ者のようだが…)
「お前も、迂闊な行動は気を付けるように」
サディアスがイザークを見る。
「‥‥申し訳ございません」
「まぁ、あれはあの女が原因ですが…、あの女にも注意しておかねばいけませんね」
「なら俺が言っといてやる」
「最近やたらと会いに行っていると報告が来ていますが」
「そう眉間に皺を寄せるな、それよりリディアはどこだ?」
「安全な場所に隠れているはずです」
「この騒ぎが落ち着いたのに気づいたらのこのこ出てくるでしょう」
「ああ、そうしたら俺の所に報告にこい」
「いえ、私の所にです」
「お前は忙しいだろう?」
「全く、あの女のストーカーされている方が気が気ではありません」
「そう心配する必要はないと言っているだろう」
「だからあなたはあの女の事になると―――」
「サディアス様!」
「ほーら、仕事だぞ」
サディアスを探してやってきた臣下を見てニヤッと笑うジークヴァルトを睨みつける。
「埒があきません、両方に報告するように」
「畏まりました、今回の件ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんでした、また助けて下さりあり―――」
「あー堅苦しいのはいいから、次からは気を付けるように」
「はいっ」
頭を下げるイザークに背を向けあっという間に臣下に連れられ去っていく。
そうしてジークヴァルトと二人になった所でまたイザークが頭を下げる。
「あー、俺も堅苦しいのはいらん」
「はい…」
「どうだ?」
「?」
「お前にとっては初めての外、そして初めての主だろ?」
「…それは」
胸に手をギュッと当てる。
「殿下、私を外に出して下さりありがとうございます」
「それは今幸せという事か?」
「!」
ジークヴァルトの言葉に顔を上げる。
「…はい、リディア様に会えて…私は沢山の喜びを知りました」
「そうか、ならこれからも励め」
「はい!」
あのローズ家で出会った頃のイザークからは想像できない程の人間らしい笑顔にジークヴァルトも笑む。
(この笑顔を作ったのはリディア、お前だな…)
「リディアを見つけたら一番に俺に報告に来い」
「畏まりました」