62話

―――― ガッシャ―ンッ

 テーブルの上の高価な食器が床に落ち派手な音を立て割れる。

「レティシア様っきゃぁっっ」
「ムカつきますわ!!あの女っっ」
「痛い…痛いですっ…ぅっ」
「痛くて当然よ、痛くしているのですもの」

 バシバシッと近くのメイドに殴り蹴り八つ当たりする。

「この私に命令するなど!!この私に!!」
「ぅっ――ぅぅっ‥‥」

 額や唇から血を流し倒れるメイドを最後にもう一度蹴り飛ばす。

「何をボーっと突っ立ってるの!早くここを片付けてお茶の一つもだせないの?この役立たず!」
「も、申し訳ございませんっっ今すぐ片付けます!」

 メイドや執事がいそいそと動き回る。

「あなたもボーっと突っ立って見ていないで一緒に床をお拭きなさい」
「‥‥」

 オズワルドは無言のまま言われ通り床を拭こうとメイドが持ってきた掃除道具へ近寄る。
 そしてぞうきんを手に取ろうと見るも、メイドが使ってしまい一枚も残っていなかった。

「何ちんたらしているの?あら、ぞうきんがもうありませんのね」

 そこでパンッと思いついたように手を一つ叩く。

「そうですわ、いいものがありますわ、あれをここへ」

 そう言うと執事デルフィーノを見る。
 するとすぐに察したのか奥から一枚のハンカチを持ってくる。

「これで拭くといいですわ」
「!」

 バッと開いたそのハンカチにはハーゼルゼットの家紋と血の跡がついていた。
 それは自分の母のハンカチだと一目で気づく。

「あら、これも汚れていますわね、でも汚れたものを拭くんですもの、それに捨てるだけだしいいわよね」

 にやーっと目元を歪ませる。

「さぁ、これで拭きなさい!」
「‥‥」

 動かずにじっと突っ立つオズワルドの前でそのハンカチを先ほどのメイドを殴った血とお茶やケーキでぐちゃぐちゃになった床へ落とす。

「!」

 それをヒールのつま先でハンカチに塗りたくるように拭く。

「‥‥」

 表情を変えずにその様をじっと見つめるオズワルド。

「あらもうぐちゃぐちゃね、汚らしいわ、捨ててちょうだい」
「はいっ」

 ドロドロになったハンカチをメイドが摘まみ上げごみ箱へと捨てる。

「何をボーっと突っ立ってるの?さっさと動きなさい!」
「‥‥」

 黙って動き始めるオズワルドにレティシアが高笑う。

「いい気味ね、私に偉そうにしていたハーゼルゼットももうすぐくたばるそうよ?」
「……」
「アグダスの英雄気取りが、最後は冷たく薄汚れた牢獄で死ぬなんてね」

 可笑しくてたまらないというようにクスクスと笑う。

「私が聖女になった暁には、ジーク派全て聖女の言葉で死を告言してあげますわ」

 蔑む瞳でオズワルドを見る。

「お前もその時が来たら最も無様な死に方をさせてあげましてよ?ああでも、その前に牢獄のハーゼルゼットの方は息絶えそうだけれど、ほーほっほっいい気味ね!」
「……」
「あー、少しスッキリしたわ」

 沈黙を守るオズワルドを他所にメイド達を見る。

「私に歯向かったらどうなるか、お前たちもよく心得ておきなさい」
「はいっ」

 メイド達が怯え怯みながら頭を下げる。

「そうよ、私に歯向かったらどうなるか、あの女、今に見ておきなさい‥‥」

 レティシアがリディアを思い浮かべ扇子をミシミシと音を鳴らした。

「あ~~~~、やっぱり出ないわね~~~~」
「大丈夫ですかっっ」

 力尽きて倒れ込むリディアをイザークが支える。

「魔力はあるのに、なぜでしょう…」
「そうなのよね~」

 ふと空を見上げると東の空が少し明るくなってきている。
 
「…いつも付き合わせて悪いわね」
「いいえ、このぐらい大したことではございません、このままベットへお連れしましょう」
「お願い」

 完全にイザークに身を任せる。

「生活魔法は諦めるしかないのかな…」

 なんとか生活魔法は使えるようになりたい。
 一人になった時の事も想定すると、もう出ないだろうという予感はあるのについ足掻いてしまう。

(とはいえ、疲れたわ…)

「ふぁあ~あ~」

 大きな欠伸がでる。
 今日は終了と思うと体にドッと疲れを感じると共に強い眠気を感じる。

「疲れた‥‥」

 抗わず重い瞼を閉じた。

「おやすみなさいませ、マイレディ」

 イザークが囁いた時にはもう既に夢の中だった。
 そんな二人の影が部屋に入るのを見計らったように、今二人が居た場所に一人の男が木から降り立つ。

「…やはり、魔法は使えぬか」
「あら?ジーク殿下もおいででしたか」
「よぉ、ドラ」

 草むらからキャサドラが出てくる。

「ジーク殿下が仰るようにリディアは魔法が使えないようですね」

 うんと頷くとキャサドラが感心したように口にした。

「いやぁ、しかし、あれから逃亡しないように夜も部屋を張っていたのですが、毎晩魔法の練習を夜遅くまでやっていて驚きました、そりゃぁ授業中寝るわけだわ」
「ほぉ」

 何かしているとは思っていたが、それが魔法の練習だったかとジークヴァルトが顎に手を当てる。

「どうかしましたか?」
「ああ、ちょっとな…、早くしないとと思ってな」
「何を?」
「ドラ、オズにも伝えておけ、陛下の容態が思わしくない事を」
「!」

 キャサドラの目が見開く。

「それは…」
「聖女試験が終わるまでギリギリもつかどうか解らん」
「! そんなに…」
「ゲラルトの報告だと最近ナセルに帝王学を重点的に学ばせているらしい」
「それは!」

 ジークヴァルトが頷く。
 ナセルはアナベルの息子で歳は12歳。
 順当にいけばジークヴァルトが国王代理の今、陛下が亡くなればそのまま国王になる確率が高い。
 だが、現王妃の息子ナセルに重点的に帝王学を学ばせているという事は、ジークヴァルトを差し置いて自分の息子ナセルを国王にさせる段取りをしているという事だ。
 息子ナセルの性格は大変大人しく、息子を王に据えて自分の思い通りに動かしたいのだという思惑が透けて見える。
 それをどうにか阻止せねば、ジーク派は全て排除されるだろう。
 ジークヴァルトの母が反逆罪での逮捕からジーク派の主要幹部らが死罪にさせられそうになったのを何とかジークヴァルトとサディアスが奮闘し、死罪を免れ、牢獄に閉じ込められたり左遷されたりとなった。
 陛下が倒れたことで国王代理となったジークヴァルトが戦乱収めるため左遷された者を幾人かは連れ戻すことが出来た。そのうちの一人がキャサドラだ。
 アナベルが息子を王に仕立て上げたとしたら、今度こそ死罪は免れないだろう。

「まぁ、まだ今のところは大丈夫だが、いずれ動き出す、用心をしておけ」
「はっ」
「あと、キナ臭い動きがあってな」
「と言いますと?」
「あの橋爆破事件を覚えているか」
「はい」
「多分、その時の犯人と同じ奴がまたコソコソ動き回っているようだ」
「犯人の目途がついたのですか?」
「いや、まだだ、だが、サディが罠を張っている、いずれ炙り出されるだろう」
「なるほど」
「こちらの施設に手が及ばない様に注意を払っているが、警備を念のため強化しておけ」
「はっ」

 そう言って背を向け歩き出しかけた足を止める。

「まだ何か?」
「…あの女に伝えてくれ」
「?」
「自分で伝えたいが、今は直接会うのは避けたい」

 イザークの件があり、下手に接触してはまた、アナベルやレティシアにうまく利用されかねない。

「賢明なご判断です、それでなんと?」

 頭だけ軽く振り返るとジークヴァルトが口にした。

「弟の話し相手になってやれと」
「ロレシオ殿下の?」
「少しは癒しになるかもしれん、それであの女の前向きな強さも伝染してくれればいいんだがな」

 小さく笑う。
 そんなジークヴァルトにキャサドラが笑む。

「畏まりました、リディアにそう伝えておきます」
「頼んだ」
「はっ」

 キャサドラが胸に手を当て敬礼すると、ジークヴァルトは闇に姿を消し去った。