2 話

「リディア!何しているの!私の靴を早く磨きなさい!」

 大きな音を立ててドアが開く。
 そこには制服姿の気位の高そうな女、もとい義理妹が仁王立ちしていた。

「まったく、今日は早めに行かないといけないというのに全く役立たずね」

 苛立ちながらリディアを見る。

「何ボーっとしているの!」

 バシッと派手な音がし、私の左頬が熱く赤く染まる。

「さっさとしなさい!」
「っ」

 そのまま背中をドガっと足で蹴落とされ、階段を転げ落ちる。

「ったぁ‥」
「何しているの!さっさとしなさい!」

 この瞬間、いつもの日常が始まったと前世の記憶を取り戻した私は内心ため息をついた。

 今の私の名は”リディア”
 父が男爵で、母は何処かの種族の女性だった。
 だけど、10歳の時、両親が馬車で盗賊に襲われ亡くなった日から生活は一変した。
 祖父母も亡くしていたため妹夫婦の元にやってきた私は、親の財産を全て生活費として没収され、学校にも通わせてもらえず奴隷の様な扱いを受けていた。
 
「‥‥」

 自分の義理妹の靴を磨く手を見る。
 骨と皮だけのやせ細った手。
 食事すら殆ど与えられず、床に落とされた固いパン一つ口にするだけの毎日。
 腕に目を落とすとあざだらけの醜い肌がやせ細った腕を更に醜く見すぼらしさを際立たせている。
 これは腕だけではない、階段を落とされたり、蹴られたり殴られたり、冷たい水や熱いお湯を掛けられることなど日常茶判事なだけに、体中が痣だらけだ。

「磨き終わったの?!遅い‼」

 イライラした声を上げる義理妹が背後に立つ。
 いつもの様に磨き終わった靴を置くと、脇によけ、頭を床に着ける。

「申し訳ございません…」
「まったくグズね‼」
「ぐっっ」

 手にした魔法の杖で丸まった背中を思いっきり殴られる。
 手で叩かれるのよりこの杖で叩かれるのは結構効く。
 一瞬声が出なくなるも、痛みに耐えながらとにかく頭を床にこすりつけて謝り通す。

「っ…も、申し訳ございません、行ってらっしゃいませ、お嬢様」

 この家のお嬢様は自分もなのだが、そう呼ばないと怒られる。
 これが今世。これが今の現実。

 今世の私は、絶望の真っただ中にいた。
 現在14歳の私は、毎日ただただ義理家族のいびりと、奴隷のような過重労働の日々。

 こんなのでこの先やっていけるのだろうか?
 前世を知った所で生き残れるのかと出口の見えないトンネルの中に居る様な気分になる。

(14歳ということは、まだ最低でも4年…)

 前世の記憶を取り戻し、ゲーム内ということまで分かった今、まだ数年は確実にこの生活を送らないといけないということが確定した瞬間だった。
 ゲーム内の主人公の年齢は忘れたが18歳以上であることは確かだ。
 というのも、主人公が18歳以上のものを選んでいるからだ。
 前世では32歳ということもあり、いい加減子供の恋愛より18禁どんとこいの年齢設定18歳以上を条件に入れて買っていたからだ。

「はぁ~」と内心ため息つく。

 義理妹を送り出した後、食堂に向かうと義理母が一日一度しか与えてくれない唯一の食糧である床に落ちた固いパンを土の付いた靴で踏み歩く。

「何やってるの、ジェシカの髪のセットもまだできてないじゃないの!」
「申し訳ございません」
「まったく、母親と同じくどんくさいわね!顔だけで取り入った母親の娘だけに役立たずもいい所!さっさと死ねばいいのに」
「っ、も、申し訳ございませんっっ」

 義母のヒールが肩に刺さる。
 その痛みに耐えながら立ち上がると義理妹のもう一人の髪を梳かし始める。
 母はとても美人だった。
 男爵家に嫁いだのだが、種族が違うと言えどこの国で言えば平民と変わりないわけで、貴族に拘る義母は兄が母を娶ったのが気に食わなかったようだ。
 事あるごとに、母の悪口を言いながら私を殴る蹴る。
 義母は兄である父が優秀で男爵家でありながら、伯爵夫人や侯爵夫人にも人気があり、婿養子にいけば繋がりが持てると期待していた。だが、あろうことか違う種族の爵位も持たない女を娶った。
 伝手を失くした義母が結婚した相手は結局、同等の男爵どまり。優秀な兄に希望を持っていただけに自分はもっと高貴な存在になれる存在だと信じていたのになれなかったと母を目の敵にし、今私に憎しみが向かっている。
 そんな義理家族が全員外出するのを見送ると、やれやれと肩を落とした。

「まったく、よくこんな状況何年も耐えたよね~」

 お手伝いさんのエリーゼに言いつけられた皿の後片付けをしながら呟く。

「確か、これって徴(しるし)が出るのよね~」

 オープニング部分は流石に期待に満ちてやった所だけに薄っすらと覚えている。
 聖女の徴が出て魔法が使えるようになり、そこから本編に入っていったような記憶がある。
 ということは、徴が出るまで魔法も使えないのなら、逃亡は無理だ。
 なぜなら、生活魔法を使えないと外での生活は無理に等しい。

 家事をするにも何にするにも生活魔法が使えないと暮らしてはいけない。
 生活魔法と呼ばれるものは主に火や水魔法を使う事を言う。
 といっても強力な魔法がなくても家事する程度の火や水を出せることを生活魔法と呼ぶ。
 例えば鍋の火をつけるのも、火自体を魔法で出す。
 部屋の蝋燭ぐらいなら火打石を使えるのだが、レンジ的な場所はただ熱に強い台が置かれているだけなのだ。なので火魔法を使える人に頼んだり、使えない人は店で食料を調達する。とはいえ火はキャンプの要領で何とかなるかもしれないが、問題は火だけではない。
 水は一応、街の数か所に井戸があるが、住む場所によっては凄く遠い。
 というか、広い街に数か所しかないので遠い場合が殆どなのだ。
 そのため井戸の近くや川の近くは土地や家賃が高く設定されていて収入がある人でないと住めない。
 川向こうは城下町から外れるため、貴族はこぞって街の中心地に住もうとするので川の位置から遠く離れているので井戸の位置が重要になってくる。
 貴族で魔法が使えない場合、生活魔法が使えるお手伝いを雇うか、魔法を使えないお手伝いを安い賃金で過重労働させて水を遠い場所まで何度も汲みに行かせ倒れたら捨てるかのどちらかが普通一般的だ。
 ちなみに、今この家ではエリーゼだけが生活魔法の火が使える。
 要は雇い賃を安く上げたいがため残りは魔法が使えない者を雇い過重労働させているわけだ。
 その過重労働要員に、もれなくタダ同然の私も含まれている。
 そう、タダで過重労働させる労働員のためだけに、私はかろうじて生かされているのだ。

「はぁ~、徴っていつ出たっけ~?全く思い出せないや」

 ため息交じりに遠い井戸から汲んできた冷たいバケツの水からぞうきんを絞る。
 今は冬季で水が氷の様に冷たい。
 手があかぎれで染みて痛い。

「くぅ、涙がちょちょギレるぅ」

 前世を思い出してしまうと、この生活はかなりキツイものに感じてくる。
 いや、キツイ所でない。
 あの暖房の中でぬくぬくポテチを食べながらビール片手に乙女ゲームをしてた時間が愛おしい。

「よくこんな状態で生き延びたよなぁ~リディアぱねぇ」

 主人公のリディアは自分なのに感心する。

「お花畑と言ってごめんなさい!だから、元の世界に戻して!」

 試しに手を合わせ神に祈るポーズをとってみる。
 シーンと静まり返る部屋。
 そりゃ無理だよなぁ~と諦めのため息をつく。

 凍てつく手で窓を拭きながら枯れ木の葉が落ちるのを眺める。
 この生活をこれから後何年続けるんだろう?
 最低でも4年だが、20歳設定なら6年だ。

(絶望感しかないな…)

 こういうお花畑の聖女系ってこんな中でも前向きに生きるわけだから、ある意味凄いバイタリティあるよなと、改めて感心する。
 中身が聖女でない、どちらかというと聖女と反対に位置する自分には到底前向思考なんぞ無理だ。

(私にはムリゲーだわ…こんなつらい思いするなら、これって悪役令嬢のがよくない?)

 悪役令嬢は最初はご令嬢様で大事にされるわけだ。

(あーでも、王子と結婚するのに妃修業大変パターンもあるなー、やだなーそれもー)

 キュッキュッ音をさせながら窓を拭き続ける。
 主人公でも乙女ゲームには虐められるパターンから始まる以外も沢山ある。
 ほんわか幸せパターンや愛されてパターンだって多い。
 なのに、一番つまらなかった乙女ゲームな上、最初シンデレラパターンの辛い系に転生とはついてない。
 本当に踏んだり蹴ったりだ。

(せめてはじめ幸せでした系の主人公に転生したかったわー)

 一応リディアは生き延びて物語が始まっていくわけで、きっと生き伸びはするのだろう。
 だけど、前世を思い出してしまった自分にはこの生活をあと何年も続けないといけないと思うだけでゾッとする。
 でも逃げるにもまだ自分には力がない。
 逃げた所で、魔法の使えないこのやせ細った体だ。
 働き口が見つかるかどうかも怪しい、それに運よく働くあてが見つかったとしても碌なところではないだろう。今と同じ状況か、それよりももっとひどい状況になるのは目に見えている。
 しかも今は隣国との状況が最悪で、この前戦乱が起き流通が止まり不況状態だ。
 逃げるにしても今は時期的によくない。

(となると、やっぱり我慢するしかないの?)

 ぶるぶるっと頭を大きく横に振る。

「無理、絶対、耐えられない!!」

 汚いぞうきんを握りしめる。

「何か方法があるはず、何か方法が…」

 前までの私であったなら、前世を思い出さない状態ならばこれが当たり前の生活だったから耐えられた。
 でも今は、あの至福の時間を思い出してしまったのだ。
 心を取り戻してしまうと、今の状況はとてもじゃないが耐えられない。

(考えろう自分!とにかく徴が出るまで少しでも楽に生きられる方法を…)

「あ…」

 必死に思考を巡らす自分の脳裏に前世の小学生の時の記憶が蘇る。

『そんなこと言ったら○○ちゃんが可哀そうでしょ!』
 3人で会話していたら急に一人が私を攻撃し始めた。
 そこが発端だった気がする。
『なんか臭くない?』
『あれ?失くした○○ちゃんの消しゴムと同じ消しゴムじゃない?』
『先生ーっ、私、彼女が信号無視している所見ましたーっ』
 と、完全いじめのターゲットにされていた嫌な思い出を思い出す。

(ほんと、しつこかったよなー)

 何もしていない自分をとことん追い詰めてくるいじめっ子を思い出し、今更ながらにムカムカする。
 それと今の義理家族と重なる。

「あの時確か‥‥」

 小学生の時点でいじめを攻略したはず。
 いじめなんて、かまってちゃんか、承認欲求または腹いせの塊にしか過ぎない。
 なので、そういう子はいじめをやめろと言ってもやめるわけがない。
 先生とか親の前ではいい子にしていても、結局辞めはしないのだ。
 そこを感じ取った私が解決法として編み出した方法は……

「そうよ!あれだ!」

――――― ターゲットずらし!

 ピンと人差し指を立てる。
 いい方法を思いついたというように見えるが、見事なまでに聖女にないゲスの思考だ。

「すっかり忘れてたわ~」

 そりゃ前世の記憶をさっき思い出したばっかりですからね。

 大体、いじめをする周辺もろくな奴はいないってのが私の持論だ。
 たまには優しくて言い出せない子もいるかもだけど、それは少数。
 大概は、自分がいじめのターゲットになりたくないために一緒にいじめたり、静観したり、あと自分より下にみたりとロクな奴はいないと小学生の時点で結論付けていた。

 現に、今もお手伝いさん達すらも私を奴隷の様に扱う。
 きっと彼女彼らも自分からターゲットをずらすためだろう。
 そう言う世界で生きてきた彼女彼らだ。それぐらいの生き抜くためのこ汚い知恵を心得ているはず。
 同じように蔑むことで、ターゲットをそういう存在だと思い知らせ、皆の腹いせの対象に作り上げられていくのだ。

「ならやることは一つだわ!」

 完全聖女らしからぬゲスな笑みを浮かべる。

「そうだったわ、この私が真面目に労働し理不尽な要求に頭を下げるなんざぁありえんわ!ふわぁーはっはっはっはっ」

 やはり、どう考えても転生する者を神は間違えたらしい。
 不敵な悪役笑いを見事に決めてみせる見た目は聖女のリディアだった。