78話

 教室内がざわめく。
 それもそのはず、いつも1位2位をレティシアと争っていたフェリシーが成績を落としたのだ。

「落ち込むことはございませんわ、今回落としたとしてもまだ総合では2位、挽回のチャンスがありますわ」
「レティシア様を支持しているけど、レティシア様が認めたライバルであるフェリシーも認めてましてよ、がんばって、どちらも応援していますわ」

 フェリシーを囲んで聖女候補生達が励ましの言葉を送る。

「ありがとう…」

 いつもの元気はなく冴えない口調で礼を言う。

「フェリシー嬢、元気を出して」
「うん、私は大丈夫だから…、あの、私少し用事があるのでこれで…」

 そのまま教室を足早に出て行く。

「一体どうなさったのかしら?」
「いつものフェリシー嬢らしくない…」
「心配ね…」

(やはり、サディアスに縄をつけられたのか…しかしこれは…)

 その様子をちらりと見ていたその目がレティシアとパッチリ合う。
 その目が挑むように睨みつけてくる。

(ああ、レティシアも気づいたのね)

「リディア様」
「ああ、うん、行きましょう」

 今日の授業は終わり、いつものように図書室へと向かうため席を立った。

「やはり、サディアス様に何か言われたのでしょうか?」

 誰もいない図書室への廊下を歩く中、イザークが声を掛ける。

「そうでしょうね」
「その…」
「?」
「リディア様、ここに残るという選択肢はやはりないのでしょうか?」
「!」

 その問いかけに思わず足を止め、イザークを見上げる。

「サディアス様はリディア様を聖女に仕立てようとしている、主もそうお思いなのでしょう?」

 イザークの言う通りだ。
 フェリシーに縄を付けた。
 そして彼女を聖女に仕立てるのではなく、彼女を落として私を聖女に仕立てる事にした。
 だから彼女は成績を落としたのだ。
 そう捕らえて間違いないだろう。
 レティシアもそれに気づき、私に挑むように睨みつけてきた。

(全く、私は聖女になる気なんてさらさらないのに、要らぬ因縁つけられたじゃない)

 やれやれと息を一つ吐く。

(それよりも、今問題は、このイザークの発言…ね)

「それではまるで、あなたはここに居たいという発言ね」
「っ‥‥」

 イザークの眉が寄り顔を背ける。

「それを返事と捉えていいのかしら?」
「‥‥」

 答えられずに押し黙るイザークに、またやれやれと息を一つ吐く。

「あなたは私を『マイレディ』と呼ぶほどに思ってくれている、本来ならきっとあなたはついて来てくれるのでしょう?それを止まらせる理由は一体何?」

 執事が『マイロード』『マイレディ』と口にするのは、本当に自分の主と認めた時だろう。
 そう私をイザークが呼ぶのなら、心は私に向いているはずだ。

(なのにどうして?)

「‥‥申し訳ございません」
「やはり答えてはくれないのね、まぁいいわ」

 イザークを殺さない契約は取れたのだ。
 そしてフェリシーもサディアスに紐づけされている。
 ここにまだ居ても今の所問題はない。
 逃げ出すのにまだ猶予がある。

「申し訳―――」
「ついてきたいのでしょう?だから答えられない」
「っ」
「それ程の事なのでしょう?だから謝らなくていい」
「‥‥リディア…さま…」
「でもそうね」
「?」
「私がここを出て行く時には理由を教えて欲しい、その時には教えない理由はないでしょう?」
「っ‥‥」

 また押し黙るイザーク。

「ま、考えておいて」
「はい」
「この話はこれで終わり、行きましょ」
「はい」

(まだ諦めてはいないけどね…)

 とはいえ、今の状況では何も解らない。

(ジークを終えれば、大団円は大丈夫だろうし…)

 攻略キャラの問題が残っているのはジークヴァルトだけだ。
 それさえ超えればもういつ逃亡しても問題がない筈。
 最悪イザークを置いて逃亡と言う形になるかもしれないが、まだ時間に猶予はある。
 
(逃亡を図るまでに何かヒントやきっかけがつかめるといいのだけれど‥‥)

 こればかりは焦ってもどうしようもならない問題だ。
 そういうのは考え過ぎては変に気がせくというもの。

「それでは、また後程迎えに上がります」

 イザークに頷くと図書室に入る。

「さて、気持ち切り替えてがんばりますか♪」

 うんっと伸びをするといつものように本を手に取った。

「フェリシー様、お茶が入りました」
「ありがとう…」

 心ここにあらずと言う風にカップを手に取ると口に付ける。

「熱っ」
「大丈夫ですかっ申し訳ございません!」
「いいの、私がボーっとしてただけだから…」
「フェリシー様…、そのどうかされたのですか?」

 心配そうに執事ユーグがフェリシーの顔を伺う。

「あの犯人と逃亡後、無事に保護されて以来、すぐれない御様子…、何かございましたか?」
「っ…」

 フェリシーの顔が苦痛に歪む。

「別に、何でもないわ」
「何でもないという表情ではございません、私には話せない事でしょうか?」
「‥‥ごめんなさい」
「謝らないでください、私はフェリシー様にまた笑顔になって頂きたいだけなのですから」

 沈むフェリシーの手にそっと自分の手を重ねる。

「ありがとう…」
「私はあなたの力になりたい、胸の内を明かしてはもらえないでしょうか…?」

 真剣な眼差しのユーグに、黙り込むフェリシーの口が微かに動いた。

「‥‥ただ」
「ただ?」
「私の夢が潰えた事に無力感を感じているだけだから…」
「夢が?それは一体…」

 そこで、ノックが鳴り響く。

「少々お待ちください、見てまいります」

 そのままユーグが席を外す。

(夢…か‥‥)

 ”国民の期待に応えられるように、殿下やレティシアにも認められるように誰にも恥じない聖女になりたいですから”

 そう大好きなジークヴァルト殿下とサディアス軍師の前で豪語した。
 そして絶対自分ならなれると思っていた。
 徴がこの体に現れた時、思ったのだ。
 何故だか私は『選ばれた人間』で『特別』なんだと。

 レティシアは王妃の娘だから当然レティシアが聖女になるだろうと聖女候補生達は皆初め思っていただろう。
 そんな王妃の娘レティシアと同等に向き合い、王妃の娘であるレティシアに「様」をつけなくていいとまで言われたのだ。ライバルとして王妃の娘に認められた、それが自慢であり、やはり私が『選ばれた人間』で『特別』だという自信の根拠となった。

―――― 私は神の申し子なんだわ、この世を救うためにこの世に生まれてきた

 そう、私は『聖女』となるために、神の代わりこの世を救うために生まれた救世主。
 だから私に周りも皆、応援してくれる、期待を寄せてくれる。
 部屋を見渡す限り貢物でいっぱいだ、それ程に皆が期待してくれているのは当然で必然なんだ。
 そんな私が聖女になるにふさわしい人間だとジークヴァルト殿下やサディアス軍師も当然思ってくれていると思っていた。
 だって私は『特別』だから。
 解る人にはちゃんと解ってもらえていると思ってた。
 なのに――――

『無能な聖女はいりません』

『ええ、全てにおいてリディアより劣ります』

 カップを握りしめる指先が白くなる。
 憧れた大好きなジークヴァルト殿下も、この国の最高司令官でもあるサディアス軍師が選んだのはジーク派で最も聖女になれる可能性のある、いえ聖女に相応しい私よりもリディアを選んだのだ。
 成績も人望も人気も全て私の方が上なのに。
 成績も人望も人気も全てない、いつも怠けて自己中で協調性のない、それでいてトラブルばかり起こすようなリディアが聖女になれるはずがないし、自分より上な筈がないというのに。
 位も男爵で、しかも虐待を受け育ち、この聖女試験でも皆に虐められ、魔物の執事まで押し付けられて可哀そうだと思ったから、一生懸命守ってあげたのに。
 この施設にジークヴァルト殿下が温情で印が違うのに聖女候補に入れてくれたと言うのに言葉遣いも態度もなっていないから、一生懸命私がフォローしてあげたのに。

「出来ないリディアをいつも助けてあげてたのは私よ?なのに私の方が劣っているなんてあり得ない…」

 あの殿下に対してもロレシオ様に対してもサディアス様に対しても横柄な態度を取るリディアをフォローしてあげてたのは、この私なのだ。
 それなのにリディアの方が気に入られるなんて絶対おかしい。
 成績もビリで、試験も弟使って1位取るとか卑怯な事をするような子。しかも魔物なのに魔物でないなんて嘘をつくような子。
 リディアが優秀な筈がない。

(それなのに、何で… 何でリディアを選ぶの?!――やはり)

――― 誑かされているのだわ

 脳裏に聖女になって誑かされているのも知らない大好きなジークヴァルト殿下の隣に並ぶリディアが浮かび上がる。
 更にカップを握りしめた指先が白くなる。

「フェリシー様、ハールス伯爵がお見えです」
「まぁ、すぐにこちらへ通して」
「畏まりました」

 ハールス伯爵はフェリシーを気に入り一番多く貢物をくれる人物だ。
 人脈も沢山あり、フェリシーにとって力強い援護者だ。
 そのハールス伯爵の突然の訪問。

(もしかして…今回の成績が悪かった情報…もうお耳に入っちゃったのかしら…)

 内心冷や汗をかきながら、ハールス伯爵に丁寧にお辞儀する。

「わざわざこの部屋にお越しくださりありがとうございます、ハールス伯爵」
「とんでもない!聖女様に足を運ばすなどできません」

―― ズキッ

「お気が早いですわ、私はまだ候補生に過ぎません」
「…おや?顔色が優れないようですね」
「…そうでしょうか?」
「もしかして、成績の事を気になさっておられるのですか?」
「!」

 やはり知っていたのかと恐る恐るハールス伯爵を見る。

「やはりそうでしたか」
「あの…私…」
「気になさらなくてもいいのですよ」
「え?」
「もちろん、聖女になって頂いた方が嬉しいに決まっています、ですが、元々王妃の娘レティシア様が聖女候補に参加している時点で、殆ど決まっているようなものでもありますしね」
「!」

 自分が思っているよりも皆、自分に期待していないのかとショックを受ける。

「そんな死にそうな顔をなさらないでください、私はあなたが一番聖女に相応しいと思っています」
「でも決まっているのでしょう?ならどうして…」
「まぁそうですね、十中八九レティシア様に決まるでしょう、ですがもちろん、本当にあなたは素敵だ、素直で優しくてまさに聖女そのものだ、貴方様が挽回して聖女になってくれれば一番嬉しいと今も思っています」
「‥‥でも、私はなれないのですよね?」

 結局、大好きなジークヴァルト殿下やサディアス軍師に期待されていないだけでなく、最初から出来レースだったのだと落胆する。
 自分一人浮かれてたのかと物凄く羞恥心が疼く。

「まだ解りません、でも、結果がどちらになっても私は実は構わないと思っているのです」
「それはどういうことでしょう?」
「私が期待しているのは聖女だけではないのですよ」
「え?」
「私はあなたは聖女だけでなく、それとは別にあなたに相応しいと思う場所があるのです」
「?」

 キョトンとしてハールス伯爵を見る。
 すると勿体ぶるように間を置くと真っすぐにフェリシーを見つめ、ハッキリと口にした。

「ジークヴァルト殿下の奥方です」

「!」

 フェリシーの目が真ん丸に見開く。

「ジークヴァルト殿下の…」
「はい、奥方様です」
「!」

 まさか思っても見ない言葉に驚き言葉を失くす。
 それと同時に込み上げる喜びに身体が震える。

「ジークヴァルト殿下の母君もあなた同様、聖女候補生でした、聖女は現国王の弟君が娶ったのはご存知ですね」

 こくんと頷く。

「その聖女のライバルで親友の聖女候補生だった女性が現国王と恋仲となり結婚し生まれた子がジークヴァルト殿下なのです、私も当時交友をしていましたが、明るくて優しいお可愛らしいお方で、まさにあなたのような方だった」
「!」

――― ドクンッ

 胸が高鳴る。
 まさに今の自分と同じだ。
 聖女になるレティシアのライバルで親友、そして自分は明るく優しいと皆に言われている。

(ジークヴァルト殿下のお母さまと同じ…)

――― ドクンドクンッ

 胸がどんどん高鳴っていく。

(私ならジークヴァルト殿下のお嫁さんになれる?)

「私はあなたは聖女も向いているが、あなたこそジークヴァルト殿下の奥方に相応しいと思っている、あなたを奥方にと押したいと思っているのです」

 聖女はレティシアに決まっているのなら仕方ないのかもしれない、だとしたらリディアだって無理だ。
 でも私にはまだジークヴァルト殿下の奥方になることができる。
 ハールス伯爵という援護者が居るなら可能なのだ。
 リディアは援護者もいない、落ちこぼれ聖女候補で、しかも男爵家。

(ジークヴァルト殿下の隣に立つのは私‥‥)

 部屋を見渡す。
 たくさんの貢物が目に映る。
 この貢物をくれたのは聖女になって欲しいだけでない、ジークヴァルト殿下の奥方になるかもしれない期待も詰まっていたのかもしれない。
 そう思うと体中の熱が沸騰する。

(私はジークヴァルト殿下のお嫁さんになれる?!)

 これだけの数の援護者が居るのだ。
 ジークヴァルト殿下の奥方の座を狙っている方は多いだろうが、それにも引けは劣らないだろう。
 しかも聖女レティシアの親友でライバルだった聖女候補で、ジークヴァルト殿下の母と同じ立ち位置。
 脳裏にジークヴァルト殿下の隣に立つ自分とそれを優しい笑みを浮かべこちらを見つめるジークヴァルト殿下が浮かび上がる。

「ふふ、いい反応ですね、まんざらでもない御様子」
「あ…」

 恥ずかしさに両頬を抑え俯く。

「恥ずかしがらずともよいのです、フェリシー嬢はジーク派で、男でも惚れるジークヴァルト殿下に密かに思いを寄せていてもおかしくない、いえ、そうであれば尚更の事、まさにお似合いだ!」

 フェリシーが顔を真っ赤にさせ目をキラキラさせる。

「次の面会の際、殿下には内緒で他の侯爵達が奥方候補を紹介する段取りをしていると耳にした、その時、私は貴方をお連れし私が推す奥方候補としてジークヴァルト殿下にフェリシー嬢を紹介したいと思っています」
「!」
「ご了承いただけますかな?」

 ハールス伯爵が軽くウインクする。
 その様子にフェリシーが満面の笑みを浮かべる。

「私でよければ…喜んでお受けします」
「いい返事だ!ではまた段取りが決まったら連絡するよ、ああ、それと、くれぐれもまだ内密に、ね」
「はい!」
「それではこれで失礼致します」

 そう言って颯爽と去っていくハールス伯爵を見送った後も、まだのぼせ上がりボーっと佇む。

「フェリシー様、よかったですね、相手は侯爵と言えどハールス伯爵はお顔も広く権力もお持ちです、十分に勝ち得る援護をして下さるでしょう、それにフェリシー様を推す声は沢山あるはず」

 執事ユーグが嬉しそうにフェリシーの手を引き椅子に座らせる。

「もしかしたらレティシア様も押して下さるかもしれません」
「レティシアも?」
「ええ、フェリシー様には名を呼ぶことまで許された言わばライバルで親友、レティシア様が聖女でフェリシー様がジークヴァルト殿下の奥方になれば、アナベル派とジーク派が手を結んだようなとても良い状態になります、レティシア様も、皆も、喜んで祝福し後押しして下さるでしょう」
「そうかしら?」
「ええ、きっと」

(私がジークヴァルト殿下の奥方に… ああそうか!)

 やっぱり私は『選ばれた人間』だったんだ。
 徴が出たからてっきり『聖女』と思い込んでいた。

――― 私は国王ジークヴァルトの奥方、王妃になるためにここに来たんだ!

 王妃になっても民を救える。

(やはり私は神の申し子…)

 聖女になったレティシアが暴走する時には止め、国王になったジークヴァルト殿下を支え、民を救う。

――― 私は神がこの世に送り込んだ救世主

 やはり私が感じていたのは間違いではなかった。
 ただ『聖女』でなく、『王妃』だったんだ。

(私はジークヴァルト殿下の奥方になるためにここに来たんだわ!絶対そうよ!)

 フェリシーの胸に期待が膨らむ。
 そんなフェリシーの脳裏にリディアがちらりと浮かぶ。

(やはり、リディアではなかったんだわ)

 リディアには悪いけれど、やはり悪い子はそれ同等の報いを受けるもの。
 聖女になれなかったリディアはサディアス様にもきっと見限られるわ。
 脳裏に正気に戻ったサディアス様が自分に謝罪し、そしてこれからは貴方を悲しませた分守ってくれると忠誠を誓っている様子が浮かび上がる。

(リディアは見限られて放り出されたらサディアス軍師もジークヴァルト殿下も目覚められるわ…)

 そして援護者がいないリディアはきっと聖女候補だとしても辛い環境に置かれるだろう。
 それも今までの行いが悪かったから仕方がない。

(せっかく私がこうならないようたくさん教えてあげたのに…まったく私の言う事を聞かないからこうなるのよ)

 その辛い境遇になれば否が応でも後悔し、しっかりと反省するだろう。
 そうなったら王妃となって救いの手を差し伸べてあげてもいいかもしれない。
 脳裏にありがとうと涙ながらに感謝するボロボロのリディアが浮かび上がる。

「ふふ…」
「やっと笑顔が見れました」
「ユーグ、心配かけたわね」
「いいえ、フェリシー様の笑顔を見れれば、それで」
「ありがとう」

(私がジークヴァルト殿下の奥方か…)

 純白のウエディング姿の自分と、隣に立つ大好きなジークヴァルト殿下の優しい笑みを思い浮かべ
頬が高揚する。

「さぁ、そうと決まれば、ジークヴァルト殿下にフェリシー様の魅力が最大限生かせるドレスを用意しないといけませんね」
「そうね!協力してくれる?ユーグ」
「もちろんです」

 やっといつものフェリシーに戻った事に嬉しそうに微笑み返す。

「早速、色々準備を始めましょう」
「うん!どうしましょう、やる事がいっぱいだわ!」
「ふふ、幾らでもお手伝いいたします、フェリシー様」