30話

 そう期待したのも束の間。

(これは流石に‥‥)

 入浴準備に取り掛かった所で落胆する。
 メイドが居ないという事は、自分がお世話をしないといけない。
 普通に執事がお嬢様にお世話する所もあるし、それを気にしないお嬢様も多い。
 服を着替えさせてくれたことを考えると、もしかしたら大丈夫かもしれないという期待はある。
 ただ問題は、男性が世話をする所をクリアできたとしても、私が触れることを許してくれるかどうかだ。
 身体は魔法で何とかできる。

(ただ髪は‥‥)

 リディア様の髪はとても痛んでいた。
 優しく丁寧に洗って差し上げないと更に傷む恐れがある。
 となると、自分の手を見る。

(許して下さるだろうか…)

 魔物の自分のようなモノががっつりと触れることを。
 流石にリディア様でも嫌がるだろう。
 そう思っていたのに、

「構わないわ、どうすればいいの?」

 また意図もあっさり了承するリディア様に、完全に頭が真っ白になり固まってしまった。
 「どうしたの?」とリディア様の言葉に我に返る。
 夢見心地のままリディア様を誘導する。
 膝をつく。
 膝が濡れるのすら感じないほどに、私は舞い上がっていた。
 リディア様の小さな可愛らしい頭が自分の膝に乗るのがスローモーションのように見えた。
 膝に感じるリディア様の重み。
 初めて触れる人の…リディア様の淡い金色の髪。

(柔らかい‥‥)

 手をそっと差し込むと、柔らかく温かかった。
 感動に酔いしれながら、丁寧に丁寧に無我夢中になって洗う。
 この手でリディア様の髪を美しく蘇らせられる事が出来るのだと思うと胸の高揚を抑えきれない。
 叶わない儚い夢を適えられるかもしれないと思うと、感動に目が潤んだ。

 そう思っていたのに、自分がどういった存在なのかをまた突き付けられてしまう。
 この紅い眼が、自分を受け入れてくれた優しく美しい我が主までも巻き込み蔑まれてしまった。
 それでも”気にしない“と言ってくれる主に甘えてしまいそうになる。
 この紅い眼を”それがいいんじゃない“と言って下さるから。

この紅い瞳に口づけて下さったから――――

「やはり、このまま…あなたにお仕えしたい…」

 ベットの脇に膝を落とすと、眠るリディア様の顔を近くに覗き見る。
夢にまで見た―――私の美しい主。
 この手でその髪を体をもっとより美しくして差し上げたい。
 この手で心地よい空間を、この厳しい状況の中、安心できる場を作って差し上げたい。
 この手であなたの適えたいモノを全て適えて差し上げたい。
 眠るリディア様の髪を手に口付ける。

(だが‥‥)

 苦し気に眉がゆがむ。

「リディア様…申し訳ありません…、あなたにまだ…」

 自分の胸元をギュッと掴む。

「この聖女試験の期間だけ、あなたに隠し通すことをお許しください‥‥」

 リディア様の金色の淡い髪を胸に抱きしめた。

 と、イザークが盛り上がっている所申し訳ないが、突っ込みどころが満載だった事は読者の皆様にはお解りだろう。
 口付けたのも悪役令嬢を揶揄ったに過ぎないし、イザークの面倒くさいモードを終わらせるだけの行為であった。
 紅い眼もリディアには好物だし、イザークが魔物でないのも知っているので怖がる理由が一つもない。
 イザーク目線だけで見ればとても美しく優しい聖女のようなリディアだが、中身は全く逆だ。
 しっかりすっかり勘違いしたイザークを他所にイザーク攻略完了したと安堵し、ぐーすか眠るリディアはまだ気づいていなかった。
 イザークの属性が目覚め始めていることに。

「ふぁ~~~~」

 大きな欠伸をしつつ、廊下を歩く。
 昨日もイザークを付き合わせ遅くまで魔法の練習をしたが、やはりうんともすんとも魔法は発動されなかった。
 今日から聖女試験へ向けての教育が始まる。
 疲れと寝不足の体でふらふらと廊下を歩いていると、先を歩いていた聖女候補生や執事達がリディア達を見つけ遠巻きにざわめく。
 魔物の執事と平民用の宿舎で過ごすとなったのだ。
 聖女試験は徴あるものは辞退は不可能。
 悔しい思いを抱きながら、魔物執事を追い払い一人でトボトボやってくると思っていたのだろう。
 そのざわつきが急に治まったかと思ったら、皆が一斉に首を垂れた。

「リディア様、左の方がロドリゴ教皇、右が枢機卿のオーレリー様にございます、王妃のご息女が聖女候補に選ばれたのでお見えになったのでしょう、頭をお下げください」

 見るとデブっとした如何にもな感じのイザークの言うロドリゴ教皇と、聖職者攻略キャラに居そうな美しい顔をした男が立っていた。

(これは攻略対象じゃないわよね?)

 よくある攻略キャラにして欲しかったモブキャラかと思いながら頭を下げる。
 するとレティシア様と教皇の挨拶が始まった。

(これは…)

 話の内容は王妃の賛美に始まり、教皇の自慢へと続く。

(長い奴だわ…)

 学校での校長先生のあの長ったらしい挨拶と同じだ。
 更に、教皇が来たとあってかよく知る男の声を聴いた。

「これはこれはジークヴァルト殿下!今回は大いに期待できますな!」

(あー、こりゃ暫く時間かかるわね…)

 そう理解したリディアは頭を下げたまま目を瞑る。
 リディアは長年逃げ隠れしていたため、どんな体制でも眠れる特技があった。
 魔法の特訓で寝不足のリディアはこれはチャンスとばかりに話が終われば、どうせイザークが起こしてくれると居眠りをこいた。