41話

「では、リディア様、また後ほどお迎えに上がります」

 そう言うとイザークが王宮図書室のドアの前から去っていく。
 リディアが王宮図書での読書中はイザークの買い出しや部屋の掃除などのメイドタイムだ。
 メイドが居ない分リディアが講義中付き添うためにできない用事を、この王宮図書にいる間に済ますのが日課になっていた。

「さてと、今日は何を読もうかしら」

 王宮図書に入ると室内を一望する。
 もう見慣れた景色だが、この景色だけ見て一日中浸れそうなぐらい美しく広い豪華な造りをしていた。
 もちろん本も普通の図書室と桁違いに多い。

(本当、絵師最高!美しすぎるっっ)

「それなのに誰もいないのが不思議だわ」

 聖女候補生も、王宮に住まう人もあまり利用していないのか、いつもガラガラでリディア専用図書室のような状態だ。
 しかも魔法管理なので図書管理員のような人物もいない。
 一人っきりになれ、リディアも落ち着くのでお気に入りの場所でもある。

「そう言えば、そろそろちょっと地理ぐらいは覚えておこうかしら」

 この前のイザークの会話で思い出したが、聖女試験が始まってそれなりに経ってきた。
 魔法は相変わらずだが、魔法を使えずとも聖女試験が終わればここを出る。
 もちろんあの義理家族の元に帰る気はさらさらない。
 誰か後援者の元に行く気もない。
 ぐーたら生活のためには逃亡一択。
 となると逃亡した後の住まう場所に目途をつけておきたい。
 そうすればその場所に行くための準備もできる。

「2、3候補を作っておくほうがいいわよね」

 まずは地図を見ようと図書室を歩き探す。

「あったわ、これね」

 地図を手に取ると広げる。
 そしてそっと手を当てると地図が頭の中へと入りこむ。

「地図ゲットでちゅぅ♪」

 と、暢気に口にしながら改めて地図を見る。
 地図の中でも一際大きく君臨しているのが、この国アグダス。
 西側に2つがこの国に面し、東側に5つ、そのうちの3つがこの国に面している。
 そして北と南は海に面している。
 今いる城は中央より北部の真ん中近くにあり、リオが連れて逃げた方向は西に面した隣国のマクイルとの国境付近だ。

(今、国境は危険よね…)

 賊が雪崩れ込んでる今、国境付近は危険だ。
 魔物は自分で何とかするとしても、賊は面倒だ。

(となると、北か南…ここは南よね)

 北は狭く隣国と近い。
 南は大半が海に面している。

「方角は決まったわね、後は…」

 その地方の情報が知りたいと、また図書室を歩き出す。
 本棚を見ながら歩いてると、ふと風を感じその方向を見る。
 そこには小さな窓があった。
 何とはなしに窓の外を見る。

「!」

 そこに一人佇み涙する美青年が見えて思わず息を飲む。

「誰です!」

 男は気配を感じたのか涙を拭いこちらに振り返る。

「あなたは?」
「え…、あ、えーと聖女候補のリディア・ぺルグランと申します」
「リディア… あなたが兄上が連れて来られた聖女候補生…」
「兄上?」
「ああ、申し遅れました、私はジークヴァルトの弟ロレシオです」
「!」

(ジークの弟?!…弟なんていたっけ?てことはモブ?)

 攻略男子以外に何人かイケメンモブが居ることはよくある。

(モブイベントとか勘弁してよ?さっさと退散しないと…)

「お恥ずかしい所を見られてしまいましたね」
「いえ、あー、その、見ていませんのでお気になさらず」
「! …ふふ、あなたはお優しいのですね」
「そういう訳では…」

 面倒ごとに巻き込まれるのが嫌なだけだとは言えず黙る。

(攻略対象でないから、面倒見るなんてごめんだわ)

 相変わらずの下衆思考を発揮するリディア。
 そんな事とも露知らず、ロレシオが穏やかに会話を続ける。

「兄上が連れて来られたというのでどんな方かと思いましたが、徴は違えど聖女らしく優しい方だったので安心しました‥あ、いえ、その兄上は面白い、珍しいものが好きな所がありまして、変わった娘を連れ込んだのだと勝手に思ってしまっていたのです、すみません」
「あ、いえ、お気になさらず…」
「その、兄上に何か言われたりしていませんか?」
「え?」
「いえ…、その、兄上は興にのめり込むところがあるのですよ、それであなたを誑かす様な事を言ったりしているのではと…」

 誑かされてというか攫われてここにいるのだが、ありのままを話す訳にもいかない。
 それにロレシオがどういう性格をしているのか現時点で判断は難しい。
 優しいだけのタイプならいいがあのジークヴァルトの弟だ、表面だけ優しいパターンのタイプかもしれない。

(そっちのタイプなら…、これは情報収集?)

 となると、下手に状況を話すわけにもいかない。

(ここは話を逸らすか…)

 ロレシオを改めて観察する。
 その手に一輪の花が持たれていた。

「その花は…?」
「これはっ…男が花など…恥ずかしい所を見つかってしまいましたね…それに泣く姿など‥‥」
「いえ…、その見ていませんので」
「本当にお優しい」

 いんや、面倒に巻き込まれるのが嫌なだけだ。

「これは…、母上が好きだった花なのです」

(うわちゃぁ、説明始めちゃったよ…)

 これはイベント内容の開始のようなものだと認識する。

「もう4年も経つというのに未だ涙にくれるとは情けないとお思いでしょう」
「‥‥」

 ここで ”いいえ“ とか言った日にゃ完全巻き込まれると思ったリディアは黙り込む。

「母上はとても優しい人でした、父上をとても大切にしてらした…、なのに浮気など…私は未だ信じられないのです…母が敵国の男と通じ反逆の罪を犯していたなんて‥‥」
「‥‥」
「あの母が死んでしまわれた日、それ以降私は前にも進めず唯々涙にくれるだけ…」
「‥‥」
「皆が虚けという兄上は立派に父上が倒れた後戦を収められた…兄上は立派に国王代理を務め、皆の信頼を得ていく、私は何もせぬままそれを眺めているだけ…」
「‥‥」
「周りの皆が言う、兄上の様に立派になれと…、虚けでない私は兄上以上になれると囃し立てる、でも私には兄上の様にはどう足掻いてもなれない…」
「‥‥」
「兄上は虚けではなく本当に立派なお方だと私は知っている‥、私に優しかった母上も死ぬ間際に心配したのは、いつも傍にいた私ではなく面倒ばかりかけた兄上だった…」
「‥‥」
「母上も私よりも兄上を愛し、期待していたのです… 出来そこないの私はもとより愛されても期待もされていなかった…それでも母上を失い悲しみに暮れる…やはり私は愚かな人間なのでしょう‥‥」
「‥‥」

 ロレシオの目から涙がボロボロと流れ落ちる。

「母上に認められる人間になりたいのに本当に情けない‥‥」

 そのまま顔を背け肩を震わせ止めどなく涙を流す。
 涙が止まるまでどれほどの時が流れただろう。
 陽はいつの間にか陰っていた。
 やっと涙が止まったロレシオが顔を上げた。

「すみません、長々と…愚痴まで零してしまい…その、こんな私に付き合って頂いて」
「いえ」
「‥‥あなたは何も言わないのですね」
「?」
「情けない!男なら!とか、兄上の様にもっと堂々と!とか、知ってる風情の同情とか励ましとか…ふふ」
「‥‥」
「涙が止むまで黙って傍に居て下さって…本当に、お優しいですね…」

 ロレシオが少し照れたように頬を染めると、笑顔でこちらを向いた。

「兄上が連れて来られたあなたがこの様な方で安心しました」
「‥‥」
「その、もし何かあれば遠慮なく言ってください、いつでも私はあなたの力になりますから」
「ありがとうございます」
「では、私はそろそろ行きますね」

 もう一度ニコリと笑うと背を向け去っていく。

「‥‥はぁ~~~~」

(やっと解放されたわ…)

 肩をポキポキと鳴らす。

(まぁでも、ジークの情報は得れたからいいか…)

 陰った太陽を見上げる。

(今日はもう無理ね…)

 地図を片付けているとイザークが迎えに来た。

「何かございましたか?」
「え?」
「すごくお疲れのご様子に見えますが…」
「ああ、ロレシオ様と会ってお話してただけよ」
「ロレシオ様とですか…そんなにお疲れになる程一体どんなお話を?」
「ロレシオ様の母の事を話されていたわ」
「ああ…、それで…」
「イザークも知っているの?反逆を起こしたこと」
「有名な話にございます」

 そこからイザークが軽く説明してくれた。
 ジークヴァルトとロレシオの母が敵国の男と恋仲となり反逆を犯した。
 戦を起こし自分は敵国の男の元へ行こうとしたが、自分が起こした戦に巻き込まれ死んでしまった。戦を起こされ迷惑被った貴族や国民は自業自得だと怒り、憐れみや同情する者は一人もいなかった。
 その時ジークヴァルトは父と共に出陣しておらず部屋に居た。ジークヴァルトと同じように城に残っていたロレシオが敵に襲われ殺されかけた。当時のジーク派だった王宮騎士団長を息子に譲り王宮騎士団長補佐であったオズワルドの父ヴェストハウゼンが異変に気付き単身戻り、ロレシオの命を救った。その時ロレシオが母も襲われたのを知り急いで駆けつけたが、時遅し母は襲われ息絶える直前だった。ロレシオは母に慌てて駆けよるが自分の目の前で亡くなってしまったらしい。
 その後、罪に問われたが、子供達ジークヴァルトとロレシオは何も知らなかったとなり、罰は逃れた。
 ただタイミングよく出陣していたはずのヴェストハウゼンがその場に居たことに疑いが掛かり、ジークヴァルトの母の逃亡を手伝ったのではないかという事で罰せられ、逃亡や抵抗できないように両目を剣で切り付けられ失明させて牢屋に閉じ込められた。
 この時ヴェストハウゼンは爵の返上を命じられ失爵となった。
 そして当時王宮騎士団長だったオズワルドもまた同じく失爵となり、レティシアの下僕にさせられた。要はジーク派への見せしめだ。

「そんなことがあったのね~」
「はい」

 そんな事があったとしてもリディアには正直言っちゃ悪いが知ったこっちゃない。
 長々付き合わされてガチガチに凝り固まった体を腕を伸ばしてて解す。

「はぁ~疲れたわ」
「帰りましたら、疲れが取れるお茶をご用意しましょう」
「マッサージもお願い」
「畏まりました…、あの」
「?」
「少々失礼いたします」
「えっ?!」

 イザークがリディアを抱き上げる。

「な、何?!」
「歩くのも怠そうでしたので…、大丈夫です、人目につかないルートでお部屋に参ります」

 優しい眼差しに気力の抜けたリディアはすぐに妥協する。

「頼み…ますわ」
「はい、お任せください」

 イザークの肩に頭を擡げる。

(はぁ~~やっぱり楽だわ…イザーク欲しい)

 絶対にイザークを連れて行こうと改めて心に誓うゲス思考のリディアだった。